雨の日が続き、歩数が鈍化した。休みの日なら、地元のジャスコ(イオンとは、僕らはいまだに言わない)の中を、つれあいの買い物が済むまでグルグル歩いたりできるが(※これも時間を多めに設定してもらって、あえてゆっくり買い物してもらうようにしている。つれあいは買い物が早すぎるので、歩いている時間の確保には物足りないのである)、平日の仕事のある日には、なかなかそういう訳にはいかない。仕事の行き帰りに、広めの店内のあるドラッグストアに寄ってもいいのだが、数分の滞在くらいしか精神的にできそうにない。僕は気が小さいので、気が引けることはできない。
傘をさして歩くことも無いでは無いが、今回の天候は、風を伴う日が多かった。傘を必死で支えながら、それでも雨粒に体の部分的なところが濡れる状態はつらいものがある。そんなことをしながら散歩して歩数を伸ばすというのは、やっぱり馬鹿げた行動のように思える。僕は気が小さいので、そんな風に人に思われるような行動はとりにくい。だってなんだか恥ずかしいのである。
それでも歩数のたくわえのようなものがあって、前半において歩き貯めの様な事になってもいて、万歩計による平均の歩数表示は何とか目標値以上を保ってもいた。そういうのは心の余裕にはなるが、歩くモチベーションにはかえってマイナスのところがある。意地を出して歩かないでも、明日があるさ、ということか。そうするとみるみる平均値というのは崩れていく。翌日になってその現実の数字を見ると、いわゆる自責の念というのが湧いてきて、ちょっと自己嫌悪に陥る。こんな些細なことで心のダークサイドが首をもたげてくる。やっぱり毎日の行いこそが自分を支えていることは間違いなくて、その積み重ねの先にローマがあるのである。まあ、ローマは滅びてしまったが……。
そういう訳で巻き返しである。人生は刻んでなんぼである。午前も昼も、そして夕方も。少しでも外に出て、歩いて行こう。なんだかそれも馬鹿っぽい行動かもしれないが、小さな精神衛生上には、薬になることなのである。