怪物/是枝裕和監督
いわゆる羅生門映画で、同じような場面を違う人物の視点からとらえ直すことで、見方がまったく変わってしまう物語を描いている。そういう意味では三部構成のようになっていて、三つのお話と考えていいかもしれない。最初はシングルマザーの小学生男児の母親の視点からで、息子がいじめられているような形跡があり、さらに担任から酷いことを言われているようなのである。学校側に問いただすのだが、シングルマザーのクレーマー的な母親が乗り込んできた風にあしらわれ、さらにその担任の態度は最悪で……。ところが今度は担任の若い教師の視点から見ると、実際は問題の男児のことを結構気にかけていて、そんなに悪い先生とは思えない。しかし自分の恋愛の絡みも含めてだんだんと信用も無くし、この虐待を疑われる事件から報道陣にまで狙われることになり……。そうして子供たちの視点になると、これまでだんだんと示唆されてきたことではあるが、複雑な子供たち同士のいじめのような問題は、実はもっと隠されている個人的なものなのであった。そうして二人の友情の行方は……。
というようなことなのだが、そこでこの「怪物」なのであるが、見方を変えるとそれぞれ違うようなことであるのは確かだが、やっぱり観終わってみると、母親が一番そうだったな、という感じがしてしまった。それは映画の意図には無いはずだが、結局一番わかっていないのではないか。わかり得なかったのかもしれないが……。
さらに結末においては、観るものにゆだねられているのだろうと思われるが、つまるところよく分からないのである。だからいったい何だったのか、少なくとも僕には分からなかった。要するに大人たちの偏見に、一種の人たちというか、この場合の子供たちは苦しめられ、自由には生きていくことができないのは分かる。そういう立場になればおそらくそうだったのであろう。それは分かるのだが、だからと言って大人たちが悪いのだろうか。そういう事も含めて考えると、そもそも大人の問題というよりも、もう少し別のことなのではあるまいか。虐待を受ける前に理解があればよかったが、しかしそれらの偏見は社会的に根付いたもののように見える。だからそれが悪いのだという告発かもしれないが、それは今だから言えることなのであって、過去にさかのぼって言えることなのではない。その為の映画だと言われたら、これからの教材になるのだが、これからの人には、これからの考えでまた別に生き方を模索すべきであろう。少なくとも、もっと真相を明らかにしてしまわないことには、そもそものこれからさえもないのではあるまいか。
映画的な作為は分かるけれど、最後が芸術的過ぎて分かりづらくて残念というのが正直なところである。つまるところ、親も学校も馬鹿野郎である。こんな風に腐ったものごとは、今後とも腐ったままなのではなかろうか。