カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

一時的をどこまでかということは考えるべきだろう

2011-03-06 | 時事
鳩山前首相「方便」発言波紋

 今朝の新聞にも鳩山さんの「方便」発言に怒りの投書が載っていた。報じられてからだいぶ時間もたっているせいもあってか、なんだかデジャヴというか、何日も前の新聞を間違って読んでいるような既視感があるのだった。それだけ怒っている人が多いということでもあろうけれど、おんなじ様なことを繰り返し繰り返し言いたかったり載せたかったりするのはどういう了見なんだろう。僕としてはそのことのほうがはるかに不思議だ。相撲の八百長だってそうだし、最近のカンニング事件だってそうだ。オオゴトになっているその加熱ぶりに、どんどんシラけていく自分を感じる。みんな嘘つきというかなんと言うか、よくもまあそんな白々しい怒りに酔っていたいものだなあ、と呆れるのだろう。ダメなものは駄目であるという当たり前のことはダメといえば終わりであって、その先には何もありはしない。終わりに執着して終わってしまうという単純さもさらに救いがたい。いじめっ子はそのネタがいるから仕合わせであって、その先は何も無いのだろう。
 鳩山さんに戻ると、確かにこのヒトは真性のアレだということはいえそうな気がしないではないが、しかしながら報道とは非常に相性のいいヒトのような気もする。本人にはもちろん自覚はなさそうだが、報道は彼のことが大好きという感じだ。たぶん深い愛情も持っているのだろう。いや、単においしいということなんだろうけど。
 さて、しかし抑止力は方便だったという発言について考えると、怒っている人たちは何か騙されたか何かのように思っているフシがあって、この発言を取り上げているということのようであるのだが、県外移設をするということにおいて翻したということはすでに騙していたというか、実現できないことを言ってしまった問題という政治力のことなのであるから、それは期待を裏切られたという一点において、限りなく残念ということはわかる。それで県外移設ができないその最大の理由として抑止力ということが挙げられたわけだが、それが方便であるというのは実は非常にまともな発言であるというのが鳩山さんの感覚である。ちょっとまずそうな感じは鳩山さんのキャラクターだけれど、これは日本語としてはそんなにまずい話ではないような気がする。「嘘も方便」という言葉はあるが、方便が嘘であるということではない。方便というのは仏教用語の、真の教えに導くための仮の手段や方法のこと、であるから、抑止力という言葉を用いて沖縄に基地が必要だといっているのだから、仮にそれが嘘だとしても(いや、嘘なら問題だけど)、沖縄に必要だから言ったということを現すのに何の偽りも無いことになる。方便を使ってまでも言わなければならないからこそ沖縄に必要だということを言いたいだけのことである。つまり県外移設は不可能であり、沖縄基地問題は存続するのだという確認であるに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもないので、議論はそこから始めるべきであろう。
 結論は受け止め方によっては確かに不幸だが、方便発言をあげつらっても何の解決にもなりはしないということが真理である。本来はそのことのほうがはるかに重要だし、本当に基地移転を考えるのであれば、むしろこのことに拘泥することのほうが今後の妨げにもなりかねないだろう。物事が動かないほうが報道としては面白いのかもしれないが、国民にとっては不孝なだけだ。僕が本当に頭に来るのは、そのようにして物事を考えない姿勢を育んでいる空気のようなものなのかもしれない。
コメント
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