カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

情報が過多すぎる

2011-03-21 | 時事
被災者が本当に欲しいもの、靴、ドライアイス

 ドライアイスか…。何もかも不足している中での切実な声に、まんべんなく答える術自体が失われている。
 ちょうど総会の時期でもあり、さまざまな会議の折毎に、既に何度となく黙祷を捧げ、被災地に対する自分たちへの気持への整理だけはなんとかつけようとはもがいている状態。それぞれの団体からの義捐金要請に応え、律義に金額の配分を考えてみたりしている。もちろんこちらはとしては名義などどうでもいいが、そういうところだけは妙にこだわる人たちもいて不必要に腹立たしい。
 手元にも、さまざまな団体から救援物資のリストなどが送られてきている。しかし末文には実際の要請については慎重にする旨などが記載されており、一体本当に何を送ればいいものなのかはよくわから無い状態だ。人員の支援も応える準備はあるし、また被災民の受け入れも可能だとしているが、実際に返答はまだ無い。長崎県は基本的に福島県への派遣になるということになったようだが、その話になると原発の影響もあり、一度要請にこたえた事業所であっても再考の上慎重に返答しなおすべきだという連絡が又回ってくる始末だ。確かにその通りなんだが、どうにもやりきれない気分になってしまう。
 だがしかし、スーパーに行ってみても特に保存食などの不足があるわけではない。もちろん関係無い地域であるから当たり前であるが、聞くところによるとトイレットペーパーが不足している事業所などはあるらしい。そうするとやはり備えておくべきだという意見がまことしやかにささやかれ、実際に倉庫にはパーパーや生理用品などが買い足されたのだという。危機管理上無理もないことだが、これではやはり連鎖しないわけがないではないか。
 実際にこのような大きな災害が起こってしまうと、個人というのは本当に無力だ。遠く離れた地にいながら、本当に日常を取り戻すことにさえままならずにいる。大丈夫だ、落ち着けという声であっても、届いたすぐに疑わしく思ってしまうのだろう。
 いっそのこと今の情報過多の中から距離を置くということが、今はむしろ必要になっているのかもしれない。被災地と距離のある場所においては、そのようにして平常になることの方が、有益な場合もあるのかもしれない。
コメント
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