東電の発電能力、震災前7割まで回復へ
火力発電を再開して当面はまかなう計画のようだ。もちろんそれでも夏場の供給量には不足があって、計画停電は続く模様だ。現在の能力の倍以上必要だといい、需要をまかなうための方策には10年という単位の時間がかかるという論者もいる。日本のGDPの4割を稼ぎ出す首都圏という馬鹿でかい需要のダメージは、想像以上に先行きが暗い。もちろん復興需要というものも経済自体を押し上げる力があるが、長期的に見てそれが本当に明るい材料になるかどうかはわからない。神戸の港は災害前の状態に戻ったが、需要量は元には戻らなかった。
福島の原発の状況はとりあえずホっとする状況になったといえる状態まで落ち着いたものと考えられる。福島50といわれる人たちを含め自衛隊や消防や警察の皆さんの勇気と力の大きさに改めて敬意を表したいと思う。
しかしながら原発の将来ということで考えると、日本のみならず世界的な潮流は脱原発へと大きく舵が切られていくものと考えられる。脱石油エネルギーの担い手として、その主役の座から原発が消えることは、世界的に計り知れない影響が及ぶものだと考えられる。こと日本だけに絞って考えてみても、電力供給の4割を原発が占めているわけで、事実上原発なしに電力を供給できない体制が固まっている現在から脱却することは、日本自体の復活の大きな足かせになるだろう。1000年に一度の災害であっても最悪の状態の回避を果たしにもかかわらず、世論はそのようには受け止めはしない。
特に日本の原発は、事実上核の抑止力を担っていたとも考えられ、国防上の脅威に対する再軍備の必要性も議論すべきであるだろう。しかしこれはおそらくないがしろにされて終わる危険も大きい。世論のミスリードによる混乱は、恒久的に続くことが決定したといえるのかもしれない。
また今回の災害による検証段階に入って議論されるべきことに、再度遷都論が持ち上がってくる可能性もあるだろう。関東地方の震災の危険性は、度重なる警鐘が鳴らされるにもかかわらず、結局は経済規模の現実から先送りが繰り返されてきた。最大の安全対策を講じるのであれば、首都機能の分散は避けられない問題であるだろう。そのことにも気づかないままであるというなら、復興計画を含め片手落ちのままの議論だということにもなりはしないだろうか。
さしあたっての原発の脅威から回避を受けて、落ち着いた議論がなされることを期待したい。今現在は災害時の特殊な空気の中で、さまざまな問題が先送りか棚上げ状態である。優先的には復興が第一であることはそのとおりだが、その他の問題が先送りされることのリスクの蓄積も、同時に将来的な起爆剤となることも忘れてはならない。どこまで段階的に掘り下げて議論できるまでに復活できるか、そのことがこの国の自力として試されているのではないだろうか。
ボールをただ追うだけの状態を子供のサッカーという。いまどきの少年サッカーでもそのようなゲームをするチームはいない。日本に司令塔が居ないという懸念はあるにせよ、転がるボールを追うだけでは、本当に流れを支配することは不可能なのである。
火力発電を再開して当面はまかなう計画のようだ。もちろんそれでも夏場の供給量には不足があって、計画停電は続く模様だ。現在の能力の倍以上必要だといい、需要をまかなうための方策には10年という単位の時間がかかるという論者もいる。日本のGDPの4割を稼ぎ出す首都圏という馬鹿でかい需要のダメージは、想像以上に先行きが暗い。もちろん復興需要というものも経済自体を押し上げる力があるが、長期的に見てそれが本当に明るい材料になるかどうかはわからない。神戸の港は災害前の状態に戻ったが、需要量は元には戻らなかった。
福島の原発の状況はとりあえずホっとする状況になったといえる状態まで落ち着いたものと考えられる。福島50といわれる人たちを含め自衛隊や消防や警察の皆さんの勇気と力の大きさに改めて敬意を表したいと思う。
しかしながら原発の将来ということで考えると、日本のみならず世界的な潮流は脱原発へと大きく舵が切られていくものと考えられる。脱石油エネルギーの担い手として、その主役の座から原発が消えることは、世界的に計り知れない影響が及ぶものだと考えられる。こと日本だけに絞って考えてみても、電力供給の4割を原発が占めているわけで、事実上原発なしに電力を供給できない体制が固まっている現在から脱却することは、日本自体の復活の大きな足かせになるだろう。1000年に一度の災害であっても最悪の状態の回避を果たしにもかかわらず、世論はそのようには受け止めはしない。
特に日本の原発は、事実上核の抑止力を担っていたとも考えられ、国防上の脅威に対する再軍備の必要性も議論すべきであるだろう。しかしこれはおそらくないがしろにされて終わる危険も大きい。世論のミスリードによる混乱は、恒久的に続くことが決定したといえるのかもしれない。
また今回の災害による検証段階に入って議論されるべきことに、再度遷都論が持ち上がってくる可能性もあるだろう。関東地方の震災の危険性は、度重なる警鐘が鳴らされるにもかかわらず、結局は経済規模の現実から先送りが繰り返されてきた。最大の安全対策を講じるのであれば、首都機能の分散は避けられない問題であるだろう。そのことにも気づかないままであるというなら、復興計画を含め片手落ちのままの議論だということにもなりはしないだろうか。
さしあたっての原発の脅威から回避を受けて、落ち着いた議論がなされることを期待したい。今現在は災害時の特殊な空気の中で、さまざまな問題が先送りか棚上げ状態である。優先的には復興が第一であることはそのとおりだが、その他の問題が先送りされることのリスクの蓄積も、同時に将来的な起爆剤となることも忘れてはならない。どこまで段階的に掘り下げて議論できるまでに復活できるか、そのことがこの国の自力として試されているのではないだろうか。
ボールをただ追うだけの状態を子供のサッカーという。いまどきの少年サッカーでもそのようなゲームをするチームはいない。日本に司令塔が居ないという懸念はあるにせよ、転がるボールを追うだけでは、本当に流れを支配することは不可能なのである。