カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

おばあちゃんの受難

2010-11-29 | 時事
おばあちゃん、呼んだ救急車に轢かれ重傷

 ちと古いがおもしろかったので。

 僕の職場の周りでは、よく道端で寝ている人がいる。電線工事のおじさんとか、路肩を工事している人だとか、車がめったに通らないのでそのまま休憩時間に道路で寝てしまうのだろう。あんまり広い道ではないので、時々ギョっとしてしまったりする。轢かれたという話は不思議と聞かないので、ポジションはそれなりに考えて寝ているのだろうけどね。
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育児支援の考え方の誤謬

2010-11-29 | 雑記
 しばらく留守にしてて、もう大変。ちょっと息抜きというところ。

 さて、昨日の講演を聞いていて、妻に「洗濯物干しといたよ」と言って却って怒られるというエピソードがあって(当たり前のことをしておきながら、恩着せがましく言うことが腹立たしいということなのだ)、まあ、なるほど、とは思ったわけだが、確かに子育て「支援」などと言って男が支援するような心持でいるのはけしからんのだな、と心情的には理解できるにせよ、現実に何もできない男のことを思うと、そう簡単にこの溝は埋まりそうにないとは予想できる。さらにこれから日本では結婚という価値観は希薄になるだろうし、たとえ結婚できたとしても、子供まで育てる必要のない夫婦が増えるだけであろうことは容易に想像できて、なおかつ道が険しいものだと思うのだった。ま、別にそれでいいのだが…。
 その後食事をしていてその話題になって、一人のお母さんが「私もまったく一緒だ」とおっしゃっていた。しかし旦那さんはいい人らしく、その考え通り教育が行き届き、ほぼ皿洗いなど家事の分担は上手く行っておられるらしい。そしておそらく息子さんも、結婚後しっかり家事をこなせる男となるだろうことを預言された。さらにはそれがこれから男として生きていく必須である教育の姿であるらしかった。
 いや、僕は、日本男児たる者どうだとか、これからの男性像がどうだのというのは言うつもりがないし、現実的にそのような姿が(多くの日本女性が当然のこととして望む)あるべき男性像だというのは、むしろ当然だと思う。単に言われるまで気づかなかったというのは正直なところだが、家事は女の仕事だとか、家庭は任せるべきだというような保守的な価値観が大切なものだとは到底思えない。
 ところがやっぱり「しかし」は頭にもたげる問題であることには認めざるを得ない。現実的な自分の姿が伴っていないからである。僕は家庭では一切何にもしないし、したことがないから何もできない。
 「料理くらいできるさ」とうそぶいたところで、一人暮らしの時は外食の合間にラーメンを作るくらいしかできなかった。洗濯でさえ異常にたまってからしか手をつけなかったし、部屋に干したままたたむことはせずに、乾いたらぶら下がった中から選んで着るということをしていた。当然部屋の中は縦横にロープが張り巡らされ、身動きがとりづらかった。
 そうではあるのだけど、たとえそうであっても別にいいんじゃないか、というのはいまだに思うくらいズボラである。たとえ栄養失調になったとしても、具合が悪くなればいいのだし(本当に悪くなれば入院すればいい)、部屋が汚くても雨風がしのげるのだからそれでいい。子供はまともに育たないだろうというけれど、早くから自覚しないとも限らないではないか。親が反面教師なら、むしろ几帳面になるかもしれない。
 まあしかし、快適な生活ができるのはつれあいのおかげだし、これはこれで得難い幸運を享受している立場があってのことには過ぎない。僕は益々ひとりでは生きていけないだけのことで、生きる化石としてひっそりしているよりないのだろう。
 妻に先立たれるか捨てられるかしたとしても、たぶん今更自立なんてしないだろうと思う。すべては過ぎ去ったことで、もうすでに関心が無い。ときどきゴミ屋敷のような家のことが話題になるけど、たぶん僕の仲間なんだろうな、と思うのであった。
コメント (2)
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