カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

赤目四十八瀧心中未遂

2010-11-11 | 映画
赤目四十八瀧心中未遂/荒戸源次郎監督

 正直言ってなんじゃこりゃ、という作品。ずっと冗談だと思いながら観ていて、だんだんこれは本気なんだと分かっていった。しかしながら不思議に面白いので、ついついこちらも本気になってしまうような気がする。つまるところ何が何だか分からないままではあるんだが、悲しい物語である。
 生きるのがつらい人たちというのはそれなりにいるのだと思う。それも個人的な問題を越えて社会的に生きづらい。自分を偽るならば一般のいわゆるシャバでも生きていけるのかもしれないが、自分にしみついている本性を隠し通して生きるのも、またどうしようもなくつらいのかもしれない。そういう人が集まっていく場所があるようで、それがここでは尼崎ということなのだろう。
 いまどきこんなアパートがあるんかいな、というような見事な共同便所のはきだめのようなところに、得体のしれない連中が住み着いている。つまるところ主人公は世の中から身を隠すようにこの世界に入り込んでしまうのだが、いつまでも居心地が悪いわけでもなさそうだ。臓物を串に刺すという仕事だって、その部屋の中で、いわば内職として出来る訳で、それなりに大変なんだろうけれど、よく考えると楽チンだ。人にもよるのだろうけど、営業や呼び込みなんかをやるよりずっと気楽であるのは確かだろう。
 人と密接なかかわりを持ちたくない人たちが集まって、妙なバランス感覚で身を寄せ合って、しかしどういう訳か信頼が厚いらしい。暴力や裏や欲望関係の仕事を受けて生計を立てている人ばかりのようで、本当に必要なのかどうかも怪しいのだけれど、しかしどこかでやはりその社会では必要な人たちとも言えて、人間の奥深さも感じられる。訳の分からない人も、また謎めいてはいるがサザエさん一家のように秘密の無い付き合いをしているようであって、主人公は本当に仲間ではないから知らされていないだけの話であって、他の人たちはしっかりと連携し合って秘密が無いらしいことが段々と分かっていく。つまり社会がものすごく狭いらしい。狭いからそれぞれの行動が運命的に自然に絡み合ってしまう。そうすると一人としてその世界から抜けられなくなるようなのである。
 そういう社会だから、抜け出すにはやはり外部の人の力が必要だということなんだろう。結果的に道連れにすることで、死ぬことで、この世界から足を洗うという方法を選ぼうとしたのかもしれない。主人公もそれを分かりながら、しかしその女の魅力に取りつかれている自分自身にあらがうことができない。死んでもいいんだが、しかし本当に自分の意志では死んでいいと踏ん切りがついているわけではないのだろう。
 変なお話ではあるが、妙に力の入った不思議な魅力に満ちている。怖いけれど取りつかれていく男のサガも何となく納得がいくように描かれている。これで本当に救われるのかは疑問だけれど、少なくとも生きづらさと付き合う仕方のなさのようなものは、納得できてしまうのではないだろうか。
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ゴキブリ退治で作業場全焼

2010-11-11 | 時事
作業場全焼、ゴキブリ退治で火 燃えたまま逃げ回り引火

 素直にバルサン炊いた方がよかったと思います。
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