女の人にかけてはいけない言葉があるというのは、僕にはよく分からない問題だ。以下の文章を読みながら、まったく見当もつかなかった。まあ、容姿のことかもな、とは考えたが。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090324/189861/?P=1&ST=spc_k-change
しかしながらだからといって「疲れてるんじゃない?」というような事は、やっぱり言ってはならない言葉のようにはどうしても思えない。疲れている人を気遣う場合にはどうしたらいいんだ、と思ってしまう。疲れているようだけど気付かないふりをするというのがやさしさというのも、まったく理解できない。何でそこまで神経質な解釈をするような女でなければならないのだろう。それにこの話はぜんぜん一般論じゃないような気がする。
まあどうでもよさそうなものだけど、つれあいにもそこのあたりはどうなのか聞いてみると、やっぱりぜんぜんそんなことは気にならないようだ。気にする人がいるかもしれないというのは分からないではないようだが…。そんな一般的じゃない問題が、なんで女というひとくくりにされてしまうのだろう。これはこの記事を書いた個別の感性の問題じゃないか。私は疲れていると言われたくない。たぶんそういう問題だ。女を気遣うということではなく、「自分を気遣えよ、まわりの男たち」ということなんじゃないか。
しかしこんな考え方って、自分を本当に疲れさせる根本じゃなかろうかと気の毒にはなる。人間疲れるのは自然だし、疲れてもいいんだと思う。そうでありたくない自分を演技で乗り越えることで矛盾を抱え込む。そんなことを続けていると、結局傷口が深くなっていくんじゃなかろうか。疲れた顔を平気で見せられる人間関係を築くことの方が大切だろうという感じがする。
しかし見た目ということでいうと、メイクというのは大きいのだと改めて驚く。
http://trend.gyao.jp/internet/entry-13350.html
完全に現実と乖離した変身ぶりに唖然とする思いだ。率直に言ってこれだけの技術があるというのは、芸術の域かもしれない。
女の人は現実主義者だという話はよく聞く話だが、僕は普段からはなはだ疑問に思っている。考え方で一般的に男と女という違いがあるとすると、むしろ女の人の方が現実主義とは違うということを感じることの方が多い。話を聞いていてすぐに感じるのは、少し現実とのズレ方があるのが特徴ではないか。それもかなり個別にズレ方が異なる。へえ、この人はこんなふうに感じたり考えたりしてるんだ、ということこそ女の人の面白さかもしれない。いい意味で一般的でなく、個人主義なのだ。
しかしそうであるくせに、なんでそんなにまわりのことを気にしなければならないのだろう。まあ、見た目もそれなりに大切だというのは否定しないが、むしろ誰も自分のことなんて本当に分かりはしないものだ。その方が自然だし、誤解されるのも了解して生きていくより仕方がない。風評被害を被るのなら釈明も必要だろうが、自分のことがそのように見えるらしいことはある程度受け入れるよりないし、そう考える人が本当に一般的なのかというのは限りなく疑問だろう。
まあ僕は、女の人に限らず、人のことがだいたいよく分からないので、分かってもらえないことにも寛大なのかもしれない。いや、こんなブログを書いているのは、結局理解してほしいという欲求かもしれないが…。ああそういえば、書いてあることがよく分からないとは言われてがっかりはしているようだ。他人のことは言えたものではありませんね。反省はしないけど。分からないんで反省しようがないんです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090324/189861/?P=1&ST=spc_k-change
しかしながらだからといって「疲れてるんじゃない?」というような事は、やっぱり言ってはならない言葉のようにはどうしても思えない。疲れている人を気遣う場合にはどうしたらいいんだ、と思ってしまう。疲れているようだけど気付かないふりをするというのがやさしさというのも、まったく理解できない。何でそこまで神経質な解釈をするような女でなければならないのだろう。それにこの話はぜんぜん一般論じゃないような気がする。
まあどうでもよさそうなものだけど、つれあいにもそこのあたりはどうなのか聞いてみると、やっぱりぜんぜんそんなことは気にならないようだ。気にする人がいるかもしれないというのは分からないではないようだが…。そんな一般的じゃない問題が、なんで女というひとくくりにされてしまうのだろう。これはこの記事を書いた個別の感性の問題じゃないか。私は疲れていると言われたくない。たぶんそういう問題だ。女を気遣うということではなく、「自分を気遣えよ、まわりの男たち」ということなんじゃないか。
しかしこんな考え方って、自分を本当に疲れさせる根本じゃなかろうかと気の毒にはなる。人間疲れるのは自然だし、疲れてもいいんだと思う。そうでありたくない自分を演技で乗り越えることで矛盾を抱え込む。そんなことを続けていると、結局傷口が深くなっていくんじゃなかろうか。疲れた顔を平気で見せられる人間関係を築くことの方が大切だろうという感じがする。
しかし見た目ということでいうと、メイクというのは大きいのだと改めて驚く。
http://trend.gyao.jp/internet/entry-13350.html
完全に現実と乖離した変身ぶりに唖然とする思いだ。率直に言ってこれだけの技術があるというのは、芸術の域かもしれない。
女の人は現実主義者だという話はよく聞く話だが、僕は普段からはなはだ疑問に思っている。考え方で一般的に男と女という違いがあるとすると、むしろ女の人の方が現実主義とは違うということを感じることの方が多い。話を聞いていてすぐに感じるのは、少し現実とのズレ方があるのが特徴ではないか。それもかなり個別にズレ方が異なる。へえ、この人はこんなふうに感じたり考えたりしてるんだ、ということこそ女の人の面白さかもしれない。いい意味で一般的でなく、個人主義なのだ。
しかしそうであるくせに、なんでそんなにまわりのことを気にしなければならないのだろう。まあ、見た目もそれなりに大切だというのは否定しないが、むしろ誰も自分のことなんて本当に分かりはしないものだ。その方が自然だし、誤解されるのも了解して生きていくより仕方がない。風評被害を被るのなら釈明も必要だろうが、自分のことがそのように見えるらしいことはある程度受け入れるよりないし、そう考える人が本当に一般的なのかというのは限りなく疑問だろう。
まあ僕は、女の人に限らず、人のことがだいたいよく分からないので、分かってもらえないことにも寛大なのかもしれない。いや、こんなブログを書いているのは、結局理解してほしいという欲求かもしれないが…。ああそういえば、書いてあることがよく分からないとは言われてがっかりはしているようだ。他人のことは言えたものではありませんね。反省はしないけど。分からないんで反省しようがないんです。