哲学の杜などといって、散歩道を気取るつもりはないが、確かに歩くのは考えるのに都合がいいとは思う。時々ははっきりと、その為に散歩に出るということをしているようだ。歩いて気分転換をはかるということもあるだろうけれど、歩いているその時間こそ仕事やら考え事をするのにいい場合がある。これは気分転換になるというより、明らかに積極的にそのことに集中するために歩きに出る。その方がかえって考えがまとまるというか捗るというか、やはり都合がいいのである。
今日は何を考えようかということを、あらかじめ散歩前に準備することもある。仕事中に後回しにしておこうということは結構頻繁にあって、手帳にメモしたり紙切れにメモしたものがたまる。そういうものをポケットに突っ込んで、適当に拾って考えたりする。持って出るのを忘れても、紙に書いたという記憶はあんがい残っていて、歩きながら思い出すことも多い。メモは見るために残すということもあるけれど、記憶させるためにはかなり有効だと思う。
アイディアをひらめかしたり、後でやらなければならないことを思いだしたりすることもある。あわててメモを探したりするが、あいにく持ち合わせていない。レシートの裏紙などをポケットから見つけて立ち止まって書く。どうしても紙がなければ手首などに書く。暑い日には皮膚にインクが乗らないことがあって、シャツやジーパンの上に書いたりする。読んでいる文庫本なんかを持ち歩いている場合があって、余白に書いてページの端を折っておく。僕は本を読了すると、また最初からパラパラめくりなおして線を引いたり書き込んだりしたことを読みなおす習慣がある。時々内容とまったく違う意味不明のことが書いてある。何かひらめいたらしいが、何のことだっけ?などと自分自身がいぶかしい。メモしたからといって安心するとこのように意味がないということもあるので、散歩の後にも注意が必要のようだ。
息子が来年高校受験なので、合格手帳(田村仁人著/ディスカバー21)というのに目がとまって購入した。プレゼントするつもりなのだが、パラパラめくって読んでいるとなかなか面白い。僕が勉強できなかったのもうなずける。こんなふうに取り組んでなかったもんな。
この本は受験生に有用なだけじゃなくて、結構社会人にも共通して使えるという印象がある。僕としてはもっと書いてあることのボリュームがあったほうがいいと思ったが、それでは手帳にならないのかもしれない。
中でも特に面白いのは、「メールにはすぐに返事をしない」などという心得が書いてあったりすることだ。いつもすぐに返事を書くような人だと、もし返事が遅れてしまった場合にかえってマイナスになるからだという。優等生の失望ということらしく、真面目な人が遅刻などをするとその印象の方が大きかったりする。それならいつもからグータラな方が点数を稼ぎやすいということだろうか。
また自分が何かに取り組んでいるときにまわりから何か話しかけられたりしたら、力のない生返事をすることを勧めたりしている。その程度で友情を失うことはないから大丈夫などと太鼓判を押してくれる。ある意味で自己中心的な考え方のようにも思えるが、何か自分で志を立てて頑張るということは、自分の時間をいかに有用に確保するのかということにもかかっているのかもしれない。アドバイスの仕方が変わっているけれど、こういうホンネのこもった言葉こそ、あんがい印象に残って身に着くということにもつながるのだろう。
プレゼント本なのにいつの間にか何か所かに線を引いてしまった。新品という感じじゃなくなったけど、まあいいか。息子がこの手帳を実際に使うかどうかは知らない。パラパラめくって読むだけでもいいんじゃなかろうか。計画するのは実行するためである。手帳を使いこなすことに長けるより、そのことに気づいてくれる方が肝要だ。もちろんそのための手帳は、結局自分で作っていく必要があるということなんだろう。