昨日は結婚式の話題だったのにウナギの蒲焼の話になって結んでしまったわけだが、実はそういうことを書こうとしていたわけでは最初は違ったのである。いや、ウナギの話ではあったのだけど、そういえば僕はあんまりウナギは好きではなかったなあ、ということをふと思ったにすぎない。僕がウナギより好きだったのはアナゴだった。まあ、それは子供の頃の話なのだが、単純に寿司ネタのアナゴが好きだったのだ。今でも好きだといえば好きなんだけど、ウナギだって好きである。いつ頃からウナギも好きだといえるようになったのだろうか、などと考えていたのである。
子供の頃の僕は今の僕とはまったく嗜好性が違うことは確かで、好き嫌いは多くとも何でも食べることは今と変わらないだけのことで、それなりの好き嫌いというものはあった。なんと不思議なことに、子供心にウナギというものがかなり苦手だった記憶が強い。あの味の強いタレがどうも苦手だったようで、ウナギ屋でごはんにたっぷりタレが掛かっていないと文句を言う人の感覚がどうも理解できないと思っていた。今はそう思わないが、白ご飯に少しだけウナギのタレの味がついているから旨いのであって、ご飯がタレにしみ込んでいる状態は、ちょっとどぎつ過ぎると感じていたようなのである。ウナギとはまったく関係がないが、牛丼屋でつゆだくを頼む人だとかコンビニでつゆだくおでんなどと宣伝しているのを見ると、なんとなくゲエっとしてしまう感覚が残っているので、ダシだとかタレだとかの過剰な様子そのものが、性に合わないのかもしれない。しかし麻婆丼はたっぷりご飯が見えない状態でなければ落ち着かないので、自分なりに矛盾しているわけではあるが。
子供の頃にウナギを食うというのは、ウナギの買いだしから始まるイベント性の高いものであった。今となっては正確にどこの場所だったのか思い出せないが、大村湾の海岸近くの雑草にまみれた砂利道を抜けたところに掘立小屋が立っていて、そこのトタンの扉を開けた中にいきなりドーンとまな板のあるうす暗い所でばあさんがウナギをさばいている光景を覚えている。おそらく父としては、このウナギをさばくところをどうしても子供に見せなければならない(きっと面白がる)と考えたのだろう。ウナギの首根っこを二本指を曲げた状態で捕まえてまな板の上に載せると、いきなり頭を釘のようなもので貫いてまな板に固定する。ウナギだって痛いだろうから、それこそ激しくニュルニュルして暴れるわけで、ほとんどホラー映画を見るようだった。ばあさんはその暴れるウナギに立ち向かって、器用に包丁を刺して身と骨を分けてしまう。それは確かに見事というか、なんとなくあっぱれで、とても高等な職人芸を見ているようではあった。こんな薄汚いところでこのような晴れやかな芸を日頃繰り広げておられるということには、恐ろしいながらにも敬意を抱いたかどうかはちょっと大げさかもしれないが、単純に凄いものだとは思っていた。まあそうではあるが、正直なところ早く逃げ出したかった。子の心親知らずである。いや、そのまま素直に親の心子知らずな子供だったのであった。
このようにしてさばいた身を抱えて家に持ち帰ると、母がどのようにしたのか分からぬが、最終的にはあの独特の甘みのあるタレのかかった蒲焼として焼いてくれるのであった。父は必ずウナギを食うと、少し下品に「うめえなあ」と言うのだった。
父は祖母(つまり父の母)とは長崎便の様な方言を使っていたようだが、家にいるときは標準語のような言葉づかいだった。そうしてウナギとか蕎麦を食う時に何故か下町言葉になるようなのである。どこかでスイッチのようなものが入れ替わるのだろうか。
そのようにして食べるウナギが、残念ながら苦手だった。しかしそのように皆が喜んで食べるありがたいウナギを、まさか不味そうに食うわけにはいかない。できるだけタレは掛けないで、と母に注文し、そのやわらかい身とごはんを掻き込むように食べるのだ。嫌いだからがつがつ食っていたわけだが、その姿を見て父はさらに、「なあ、うめえだろ」と言う。なんだか騙しているような後ろめたさを感じながら、早く食ってしまってなくならないものだろうかと考えていたものであった。