カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

真央ちゃんの敗北

2006-10-30 | 雑記

 出張行って職員の結婚式があって、ちょっと疲れてしまったのかもしれない。翌朝朝食の時に何気ない話をしていたら、どういうわけか長男が話の先を折るように割り込んできた。子供の言葉に妙に腹が立って反応してしまう。いつの間にか怒鳴っていて、ピタリと話は途切れてしまった。
 それからちょっと気まずい時間が続く。普通にしているようで、よそよそしい。僕自身も大人げなかったとは思うものの、なんとなく釈然としない。気分転換に散歩に出たが、ふと思い出してしまう。
 家族というものは、こういう時間の長さで形作られるのかもしれないと思い直す。ナーバスになりすぎるのもよくない。
 帰ってみて声を掛けるが完全無視。下の子もおんなじように顔を背ける。頭を触るとどこかに行ってしまった。現実はなかなか厳しいものだ。まあ、こういう具合が重なって、虐待などに発展するんだろう。ああいう事件はよそ事ではないんだろうな、と思う。それほど感情を左右されるのも、また家族なんだろう。
 一生わだかまりは抱えることにはなるんだろうが、それが僕の宿命なのだろう。諦めるより仕方が無い。
 しかしながら自分の場合を考えて、父親のことをどう思っていたのか思い出してみる。僕は溺愛状態に可愛がられたらしいのだが、そんな覚えはまるで無い。叱られた覚えもほとんど無いが、なんとなく接するのが気恥ずかしい感じだった。何かいわれるのも、ただ煩わしいだけだった。そのうち疎遠になって大人になってしまった。大人になってから、かえって普通に話をするようになったが、僕は家族とは標準語でしか話せないので、相変わらずぎこちなかった。そのうち父は死んでしまった。
 まあ、俺と父よりはマシじゃないか。僕自身は人格者とはいえないまでも、あの父よりは大人である。なによりまともなのは間違いない。世紀の変人と比較しても仕方ない気がしないでもないが、それでも親子関係はなんとなく成り立っていたのだ。親が余分なことをしても、子供はそれなりに育つと養老さんも言っていたじゃないか。親は無くとも子は育つわけで、親が至らないことは子供には関係が無いのかもしれない。
 夕食の時に話しかけると、なんとなく戻っている。結局は僕の問題かもしれないな、なんて思う。胃腸がすっきりするような、不思議な安堵があって、焼酎を飲んだら眠くなった。テレビを見ていたのかもおぼろげにしか記憶にないが、目が覚めたら真央ちゃんが負けていた。調子が悪い時があるんだろうな、お互いやり過ごすしかないさ。妙に慰められる残念さを感じたのだった。
コメント
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