カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

構造じゃなくて恣意的問題だ

2006-10-31 | 音楽

 渋谷陽一のラジオ番組で「ギターリフこの一曲」のリクエスト特集をやっていた。僕もなんかリクエストしたいな、とは考えていたが忘れていた。
 聞いていて、まあ、ロックっぽかったらなんでもよかったんだな、という感じである。ギターリフってやっぱりリフレインを強調した曲でなかったら駄目なんじゃないかと思うが、それさえはっきりしていなかったのは残念だったと思う。
 後半は逆に平凡で呆れてしまう。サイモンとガーファンクルは少し意外だったけど、最後のジミヘンはこの曲では普通の番組である。もちろん大好きだから曲がかかるのはいいんだろうが、パープルヘイズのリクエストなら近所の猫でも考えそうなことである。
 ついでにホワイトストライプスには他にもいい曲があるんだから、違う曲を選択すべきであろう。セブン・ネイション・アーミーは、この番組で5回以上かかっているんではないか。バランスとして不自然である。
 しかしながらギターリフのリクエストなんて、考えてみれば何でも可能である。ギターリフの無い曲の方が少数だろうからだ。それだからこそ強力なやつが欲しいところだが、以前にチャック・ベリーなんかの古典も既にかかっていたような記憶がある。バランスとして新旧取り揃えましたという感じが、渋谷流なのかもしれない。
 もちろん好みが偏っている方が番組として面白いので、リクエストはもらったんだけど好きな曲をかけるもんね、という渋谷流儀は、呆れながらも好感を持っている。
 バランスよく配置して、なんていう考慮はロックには無用だと思う。そういうことができないからロックを聴くようになったというのが、正当なロックンローラーではないか。
 リクエストの多い順に曲を流すというのが一番つまらない番組だ。トップ10番組がつまらなくなったのも、変な民主主義的公平感のつまらなさではないか。一番売れてる曲なんていまさら聴きたくない。そんなもの、どこででもかかってるじゃないか。
 町山智浩のコラムを拾い読みしていたら、今の音楽業界の歪を指摘していて驚いた。確かに番組中に渋谷陽一も「いまどきCDを買うのはおっさんぐらいのものだ」と言っていたが、アルバムとして曲が売れる時代はとうに過ぎてしまったというより、システムとしてそういうことができなくなってしまったということが真実のようだ。一番売れている一部の曲のみ大金をかけたプロモーションで売るより方法が無くなったり、地方局といえども自由に曲をかけることも制限されて巨大メディアの指示通り機械的に曲を流すシステムになっているのだという。日本はまだ自由が残されているようだが、じきにアメリカ流のシステム契約のあおりを受けることになっていくのだろうか。WEB2.0の世界観とはまるで異なるアメリカの現状を見ると、未来は実に暗いものがある。
 構造的に通信に金を使うようになったのだから、音楽業界はあおりを受けて売れなくなったというのが従来の理解のされ方だと僕は思っていたので、いささか現状を指摘されて驚いてしまった。今は確かにめったなことではCDさえ買わないが、アルバムとしての完成度を求めることすら音楽家はやれない時代になったのだということなのであろう。もうすぐ年末になると結局熟年シンガーベスト盤しか売れなくなるわけで、ますますこの業界の未来は暗くなる一方だ。
 ベスト盤ほどつまらないものは無いが、ファンだから仕方なく買うものだとばかり思っていたが、今は本当にベスト盤を待って買うスタイルなのだろうか。ヒット曲の寄せ集めって結局聞いたことがある曲ばかりのはずだが、何の期待があって買うのだろうか。僕には益々不可解だが、そういうものだから仕方が無いのだろう。
 思えばギターリフに涙していたなんていうことが許されていたのは、僕らの甘い青春時代のことであって、なんどもなんどもロックは死んでしまったと嘆いていたのに、本当に死んでしまった後には、小鳥が鳴いているというエンド・オブ・ジ・ワールド的な現実に気づいたということなのかもしれない。やっぱりいいもんはいいんだよね、って、生きているうちには忘れずにいきたいものである。少なくともそういう覚悟がないと覚醒が保てない現代って、やっぱり変なんじゃなかろうか。
コメント
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