カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

シャレとマーキング

2006-10-15 | ことば

 やばいなあと思うのは、日々口にする親父ギャグかもしれない。以前は罰金制度がしかれていて、ウケないシャレには百円のペナルティがあった。だがいつの間にか風化し、それをいいことに気がつけばしょうもないシャレが口に出て、歯止めが利かなくなっている。ひらめいて、口にすると軽蔑されると躊躇しているのに、発音してしまう。これはやばい。
 職場にも再雇用で働いているオジサンがいて、この人が親父ギャクの帝王である。ウチは比較的年齢層が幅広いのだが、二十台の女性も四人いる。見ていると、オジサンはこの四人と一緒のときにシャレを連発しているようにも思える。それならば、一種の色気のようなものなのだろうか。
 もちろん女でもシャレを言う人もあるようだが、「親父ギャグ」というネーミングのとおり、特にしょうがないシャレは、オジサンが使う頻度がずば抜けている。ある人は語彙が多いせいではないかと分析していたが、そういう前向きな判断をしていいものだろうか。失礼ながら、そんなにたいしたことのない知性の人でも、シャレは言っているような気がする。だいたい親父ギャグというようなものは、知性が感じられないから非難されているのではないか。
 シャレは予定調和のような気がしている。言う人は、相手に期待しているとか、甘えているのではないか。厳しい場面では、シャレは出ない。権威主義的男には、気が緩むと軽口をたたく習性があるのではないか。僕自身も、確かにシャレは口にするが、圧倒的に家族の前である。仕事関係で冗談は言うが、シャレは自重気味だ。これはなんか緊張感と関係があるような気がする。ウケなくても気にならない関係になると、口にすることができるのではないか。中には人のいい人がいて、なんとなく「フフン」としてくれる。そういう安住の地を求めて、親父ギャグをばら撒いているのではないか。
 そういうことを想像してたら、犬の牡がマーキングで電柱におしっこして廻るようなことを思いだした。習性には違いないが、迷惑である。しかし本人はおしっこをかけずにいられない。オスという存在は、ひたすら悲しいものだという気がして仕方がない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする