“昨年一年をかけて、茅葺の母屋と裏の蔵群を改修・整備してまいりました。今春には会員制多目的施設としてオープンさせたいと準備をしております。もしお時間がございましたら是非一度お越しください”
小田原市に住む高校・大学時代の同期の彼から、蔵をリニューアルした写真入の、こんな内容の年賀状が今年届きました。
彼とは社会人に成って一度だけ会い、以来30年会っていませんでしたが、年賀状だけは毎年欠かさずやり取りをしていました。統廃合が続く大手都市銀行を、6年前に退職して実家に戻ったことは知っていました。
看板(写真)の最初のくだりは、『岩瀬邸は、安政4~5年(1857~1858)に建築された建物で、戦後三越の社長として長年財界で活躍した岩瀬英一郎の生家です。この建物は、幕末から明治期の豪農の形態をいまだに残している貴重な茅葺農家造りで、力強い重厚感を持ちながらも、控えめで上品な静かさを感じる建物です』と書かれてました。
長い黒塗りの塀をたどり立派な門の前に立つと、こんな看板が目に飛び込んで来ました。英一郎とは彼の祖父でしょう。実家は、小田原市教育委員会の市ゆかりの優れた建造物に指定されているようでした。彼ってこんな人だったんだ。昨日、彼の家を訪れたときの驚きです。
お互いに歳は取り違う道を歩いて来ましたが、30年の歳月は話しているうちに急速に縮まりました。二時間はあっという間に過ぎました。
彼は現在実家の不動産管理の仕事を中心にしていますが、このところやっと自分の方向性を見出したようです。岩瀬家を背負いながらも、母屋と蔵を大改築して新しいことに挑戦する、彼にとっても大きな決断だったように思います。
共通の友人も交え、東京でまた再会することを約束し帰路に着きました。
小田原市に住む高校・大学時代の同期の彼から、蔵をリニューアルした写真入の、こんな内容の年賀状が今年届きました。
彼とは社会人に成って一度だけ会い、以来30年会っていませんでしたが、年賀状だけは毎年欠かさずやり取りをしていました。統廃合が続く大手都市銀行を、6年前に退職して実家に戻ったことは知っていました。
看板(写真)の最初のくだりは、『岩瀬邸は、安政4~5年(1857~1858)に建築された建物で、戦後三越の社長として長年財界で活躍した岩瀬英一郎の生家です。この建物は、幕末から明治期の豪農の形態をいまだに残している貴重な茅葺農家造りで、力強い重厚感を持ちながらも、控えめで上品な静かさを感じる建物です』と書かれてました。
長い黒塗りの塀をたどり立派な門の前に立つと、こんな看板が目に飛び込んで来ました。英一郎とは彼の祖父でしょう。実家は、小田原市教育委員会の市ゆかりの優れた建造物に指定されているようでした。彼ってこんな人だったんだ。昨日、彼の家を訪れたときの驚きです。
お互いに歳は取り違う道を歩いて来ましたが、30年の歳月は話しているうちに急速に縮まりました。二時間はあっという間に過ぎました。
彼は現在実家の不動産管理の仕事を中心にしていますが、このところやっと自分の方向性を見出したようです。岩瀬家を背負いながらも、母屋と蔵を大改築して新しいことに挑戦する、彼にとっても大きな決断だったように思います。
共通の友人も交え、東京でまた再会することを約束し帰路に着きました。