銚子・角巳之・三代目

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山月記②

2009年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

008 変わり果てた姿(虎)になってしまったかつての親友は話し始める。何故自分はこんな惨めな姿になってしまったのか?...と。自分は詩で名を成そうと思っていた。自分には才能がある。若くして難関試験も突破した。詩で名を成すことくらい...と思っていた。では何故、自ら進んで師に教えを請うたり、沢山の友人と交わって切磋琢磨してこなかったのか? すべて自らの“臆病な自尊心”のせいだ....。自らの才能に自尊心を持っていたが、それは臆病な自尊心であり、自らの才能を否定されるのが怖くて、逃げていた。自分が持ち得たのは“尊大な羞恥心”でしかなく、それが為に自らを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、このような醜い姿に成り果ててしまった....。彼は友人に別れを告げると再び山に帰っていった。数回の咆哮(ほうこう:泣き叫ぶ)の後、姿を消し、その後、二度と彼の姿を見ることはなかった.....と、こんなお話。自らに自尊心を持つことは悪いことではない、どころか大切なこと。なれど....。様々な業種において、その参入障壁が低くなっている昨今、安易に俺でも、俺なら....となるのかもしれません。それは一方向からのみ見れば好ましいことでもあります。動きが出てくる訳ですから。特に閉塞感の強い昨今においては....。ただその自尊心を育む過程において....。何故この文章が、高校の教科書に好まれているのか?ちょっとその一端、分かるような気がしております。続きは次回に。