銚子・角巳之・三代目

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灯台甘藍(かんらん)②

2019年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

大先輩方に聞くと、もともと銚子農業はイモ類、麦類中心の畑作を行っていたようです。
昭和20年代後半から、銚子の気候・風土に合った新たな作物を探し、キャベツに行き
着いたのだとか。他にもダイコンなど作付面積で日本一の規模になっていますが、それ
らも約60年前、開拓者の努力の賜物。

農協発表資料によると、灯台印のキャベツがブランド化されたのが昭和32年。以降約
60年...。昨日投稿の通り、一大産地として首都圏の胃袋を満たすため、様々な改良を
重ね今日に至ります。私は昭和44年生まれ。育った環境は御覧の通り、一面緑の絨毯
に覆われたような、そんな環境でありました。海の青と畑の緑が融合する、非常に綺麗
な風景です。

先人の努力で産地化してきた銚子のキャベツ...。キャベツと言えば愛知県の知多半島、
神奈川県の三浦半島、そして銚子(半島)と、適地には共通項が多い(海の近くとか、
気候とか)それが最近、これまた温暖化の影響なのでしょうか、適地が北に移っている
のだそうです。因みにキャベツの生産量(2018年)日本一は群馬県です。

最近、茨城県が一大産地となりつつあるようです。茨城県が良い、悪い、そんな話では
ありません。環境が少しづつ変わってきて、茨城県がキャベツの最適地になってきた。
客観的にそういうこと...で。続きは次回に。