風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

St. Valentine's Day

2007-02-14 | 風屋日記
ってか雪だし(^^;
クリスマスと間違えてんじゃないの?
これまでがあまりにもなさ過ぎたのは確かにあるけど、
それにしてもいきなりの20cm超・・・もうすぐ30cm。
やれやれ・・・。

ということで、今日はバレンタインらしい。
ハラハラ、ワクワクのバレンタインから遠ざかって久しい。
それでも以前は会社の女性達から義理チョコをもらって、
同僚とともにホワイトデーのお返しを競ったものだが、
(ホワイトデーに手作りケーキや手作りキャンドル、
 アロマセットなどで競ってました ^^;)
それも数年前に「虚礼(笑)廃止」でなくなった。
ま、いつもくるのは保険のおばちゃんからだけかなー

・・・と思っていたら、さっき歯医者へ行った時、
担当してくれている母ちゃんの従姉妹が
「ハイ、これ」とくれた(嬉)
私たちが結婚した頃はまだ小学4年生だった彼女も早30歳。
大きくなったもんだねー(^^;
ありがたく母ちゃんと一緒にいただきますよ。

え!?母ちゃんからもらわないのかって?
くれるわけないじゃん。
いつも保険屋さんからのチョコを持って帰ってテーブルに置くと
「あ、今日はそういう日だったっけ」ってなもんだし(笑)
いつぞやは私の誕生日を1週間後に思い出した人でもある。
そんなもんだよね、20年も経つとサ(^^;
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カサブランカ

2007-02-13 | 風屋日記
夕べは9時からNHKBS2で放送された
映画「カサブランカ」をフル鑑賞。
TVの映画をじっくり見ることはあまりないんだけど、
「カサブランカ」だけは別だね。
1941年撮影の古い映画だけど、今でも私のBEST 1。

この映画には何でもある。
男女の愛、友情、反戦、民族の誇り、音楽、名セリフ、
そしてハラハラドキドキのアクションも。
舞台がモロッコというのも異国情緒が感じられ、
またナチス台頭期のフランス領という時代設定も当り。
なんつーても当時はB級俳優だったらしい
ハンフリー・ボガードのセリフや仕種がすごくカッコイイ。
彼はこの映画で一躍トップスターとなった。
また当時無名のイングリット・バーグマンがとんでもなくきれい。
特に相手を見つめた時のあの視線の強さは
主人公リックじゃなくても惚れてしまいそう。
彼女にとってもこの作品は出世作だ。

脇役陣も
食えないキャラの警察署長や闇商人、
自分の役目に糞真面目という意味では同じキャラの
ラズロとゲシュタボの少佐など多士多才が集まっている。
私はピアニストのサムが一番好きなんだけど、
リックやドイツ兵に媚びを売りながらも
「ラ・マルセイエーズ」がかかると
胸を張り、涙を流しながら大声で歌う女の子も結構好きだ。
ナチス傀儡のビシー政府からここまで逃げてきたものの、
そこから先へは亡命できない袋小路。
そんな毎日に荒んだ心を癒してもらうべく
リックやドイツ兵に頼りたい気持ちもわかる。
それでもフランス国民の誇りは捨てていないんだなぁ。

可笑しかったのは、ようやくアメリカ行きのビザが取れ、
翌日にはフランス領を離れるという老夫婦が
リックの店の支配人と一緒に祝杯を挙げるシーン。
「To America」「To America」「To America」と
3人で乾杯するんだけど、
この辺の造りがいかにもアメリカ映画だ。
アメリカという国を自画自賛(笑)

いやーそれにしても(何度も書くけど)よかった。
自由の国フランスを守る人達の誇りはうらやましい。
教育基本法改正への世論誘導のためにヤラセを行ったり、
人権無視の失言や自分の金儲けに走る政治家達、
主義主張のビラを播いただけで逮捕する国家権力、
やいのやいの騒ぐだけでバタバタ走り回るだけの野党、
「国体」を守るために国民に犠牲を強いる法律を持つような
そんなセコくちっちぇえ国の国歌は
腹のそこから歌おうという気にはなれないけど、
自由と権利と平和を歌う歌なら胸張って歌えるんだろうな。
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花巻逍遥 vol.2

2007-02-12 | 風屋日記
前回からだいぶ時間が経っちゃったけど、
今日は何の予定もない休日だったから
ふと思い立ってあちこちの写真を撮ってきたよ。

さいかち淵

ここは「さいかち淵」。
北上川の支流、豊沢川の河原だ。
宮沢賢治さんの長篇「風の又三郎」の元になった
短編童話「さいかち淵」の舞台。
作品の中の子ども達はここで魚取りをしていた。
今でもアユやカジカ、ヤマメが泳ぐ川だ。

枯れ木の間にちらほら新芽が顔をだし、
バッケもポツポツ見えてたよ。


胡四王山

ここは胡四王山。
賢治さんが大好きな場所で、よく散策もしていたとのこと。
遺言にあった、あの「経埋ムベキ山」のひとつだ。
この写真は山中の散策路から賢治記念館の方向を望む。

こんなところを賢治さんはよく歩いていたらしいが、
賢治記念館、イーハトーヴ館、南斜花壇はともかくとして、
近隣の山も木を伐採し森を切り開いて
ここ10年ほどの間に童話村や市立博物館ができてしまった。
ここいら一体から当時の面影が消えて行くのは残念。

胡四王山頂

胡四王山頂からの景色。
花巻市街地ではなく北の方角を写してみた。
遠くに雲に隠れて裾野だけ見える岩手山があるけど、
・・・見えるかな?

胡四王神社

山頂にある胡四王神社。
坂上田村麿呂の建立と伝えられる歴史ある古社。
岩手県指定民俗文化財の胡四王神楽の本拠でもある。
左奥に見えるのが神楽殿。

この山頂のどこかに
賢治さんの遺言の法華経が埋められている。


イギリス海岸

胡四王山のあとは、お馴染みのイギリス海岸。
いつもの年だと雪に被われて入るものの、
北上川の水が少なくて地層が出ていることもあるのだが、
今年は山に降った雪もすぐ融け、雨も降るので
川の水量も豊富だね。
賢治さんが「ドーバー海峡と同じ地質」と言った
堆積地層は見えそうもない。


のんびりドライブの後は、帰りには産直店「案山子」で
プリン大福をおみやげに購入して実家へ。
母と、たまたま来ていた妹、姪とお茶して帰った。
穏やかな休日。
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2月11日

2007-02-11 | 風屋日記
今日は建国記念の日。
かつての、いわゆる紀元節だね。

古事記、日本書紀に記されている
紀元前660年に神武天皇が即位したとされる日
ということだけど、
当時の東北地方は大和とは違う、遠い蝦夷の国。
我々にとっちゃ、いわば征服した国の祝日だ。
あんまし関係ないわな(笑)
まぁせいぜい普段の生活の骨休めをしようか。

何も予定がなく、のんびりとした1日。
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バッケだ!!

2007-02-10 | 風屋日記
朝マ、犬の散歩してらっけァ
田の畦のどごさバッケ生えでらった。
それもただ生えでらだげでねぐ、
ちゃんと開ぐっくれぇ生がってらったのサ。
やンや、たまげだ。
いっつもの年より1ヶ月は早えぇべな。

こんたな冬で
今年の夏ァ寒ぐならねばいいんども・・・。



※バッケ   =ふきのとう
 生(お)える=生(は)える
 生(お)がる=育つ・伸びる
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幼児教育

2007-02-09 | 風屋日記
うちの母ちゃんが職場から学芸大付属幼稚園をモデルにした
幼児教育研究用ビデオを持ってきた。
昼間は園児達がいるために、夜家に持ち帰って見て
それに関するレポートを出さなければにらないとのこと。
長男の通う大学でもあるし面白そうなのでつきあってみた。
うん、わかるわかる。初めてみたけど面白いもんだね。

3歳で入園したひとりの男の子を3年間追い続け、
節目ごとに指導ポイントが挿入されているものだった。
ストライキをおこしたり、集団行動を不安に感じたり、
何せ幼児だからそのあたりの表現はストレート。
担任している若い男の先生はその子の心理状況を測りながら
寄り添い、適度に突き放しながら後ろから見、
そしてさりげなくサポートして気持ちを引き出している。

今、国公立の幼稚園では
そうやってひとりひとりをサポートしながら
考える力、他とのかかわり方、相手の心の感じ方、学び方など
総合的に生きる力を育てる教育を目指しているという。
そしてそれは子ども達を自由に行動させながら
その時々に合った指導を臨機応変に行っているのだ。
一見すると、ただ遊ばせているだけのように見えるけれど
子ども達は時々サポートをもらいながら
自分で考えて行動し、毎日新たなことを学んでいる。

少子化対策、子育て支援政策の一環として
全国的に幼保一体化が図られつつある。
上記のような教育を行う文部科学省管轄の幼稚園と
基本的には子どもを預かるだけの機関である
厚生労働省管轄の保育所を一緒にしようというものだ。
意図はわかる。
しかし問題だと思うのは
「幼保一体」という制度としてのハード面ばかりが取り沙汰され、
「教育」というソフト面が語られていないことだ。

しかも幼保一体化は少子化対策、子育て支援だけが目的ではなく
国公立に限っていえば、予算の効率化という側面もあるようだ。
幼稚園と保育所を別々に持つよりも、
一緒にした方が施設費も人件費も無駄がない・・・ということ。
そのために、例えば以前は午前中に保育、
午後は事務処理と教育研究の時間だった母ちゃんの幼稚園では
2年前から預かり保育を始めた途端、午後の仕事ができなくなり、
家への持ち帰りとなってそれが毎日深夜まで続くことになった。
私としては家事と教材作り、給食費決算ぐらいしか手伝えず、
あとは個人の負担となっていく。
そこに本格的幼保一体化が始まるとどうなってしまうのか。
施設にも手を加える予算はないようなので
幼稚園でぎりぎりいっぱいの施設に保育所機能は持たせられない。
教員の疲労、施設の無理は直接子ども達の危険につながる。

私立の幼稚園では英語学習や文字学習を始めとした
個性ある教育を方針として掲げて園経営しているところも多い。
それもいいだろう。
でも幼児教育の基本は「生きる力」だと思うんだ。
コミュニケーションや自分を主張する方法をきちんと学ばないと
成長してからその子自身が苦しむことになる。
知識偏重教育だけでは幼児は育たないと思うよ。
そういう意味では幼稚園でこそ「ゆとり教育」を求めたい。

今、多くの自治体で公立幼稚園廃止が語られている。
教育予算削減のために「民間(私立)でできることは民間で」
という方針の元、すでに岩手県立の1幼稚園の廃園が決まった。
私立の教育方針に対して文科省が指導する範囲は狭い。
親や教育を受ける立場の子ども達の事を考え、
きちんと教育について語られた結果が幼保一体だったり、
あるいは民間活用であるならば何もいうことはないが
それが効率化だったり、「予算がないから」であるならば
企業における先行投資的意味を持つ「教育」の放棄は
日本の将来を捨てているのと同じことだ。

・・・前にもこのテーマ書いたことあったような(^^;
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不定期連載 風屋の「正しい岩手弁講座」vol.7

2007-02-08 | 風屋日記
今日は若い人達はたぶん知らないディープな岩手弁を紹介。
でも死語じゃないよ。使う人は日常的に使っている。
私は・・・・たまに(笑)

●やばつ 形容動詞
形容詞として使う時には「やばつね(やばつない)」という。
「あこぎ」とか「強欲であくどいさま」「しつこいさま」を言う。
またそこから拡大解釈で「ひどい」「大変」という意味にも使われる。
ちょっと危険な「かまり(匂い)」のする言葉。
仲人もしてもらった私の中学時代の恩師(宮沢賢治さんの親戚)は
我々を担任している時この言葉をよつ使うヒトだった。
「今度のテストやばつねぞー」「あんまりやばつね事ばり言わねぇで」
言葉とはウラハラに、とても暖かい人だ。
ところでこの先生「急げ」と言う代わりに「慌でろ」と表現していた。
「やばつ」も果たして正しい使い方だったのかどうかはギモン。

●まぐど 副詞
「本当に」とか「まことに」という意味。
これを使う人は最近「まぐど」少なくなった。
絶滅危惧語のひとつだと思われる。
かつては普通に使われていたらしいが、少なくとも私の周囲では
90歳を過ぎた母ちゃんのおばあちゃんが使ってるだけだねぇ。
私見だが、恐らく「まこと」の音便形じゃないかな?
私のような若者(笑)には「まぐど」わからないなぁ。
ちなみに「まぐど」「あぐど(かかと)」「やぐど(わざと)」を
「岩手3大ぐど」と言う(ウソ 笑)

●まづら 接尾語
名詞や動詞の連体形にくっついて
「~ごと」あるいは「~も一緒に」という意味。
「まぐど」に輪をかけて使う人が減っている。
もう絶滅寸前、新潟のトキのような存在。
当然ほとんどの中高生などは聞いたことすらない言葉。
だから先生に
「職員室のオレの机の上サ箱に入ったプリントあるがら、
 箱まづら持ってきてけで」
と言われた生徒が
「せんせー、プリントはあったけどまづらはありませんでしたぁ」
と答えたという笑い話が生まれる。
・・・知らないヒトが多いと笑い話にもならないね(^^;

●じぇんご 名詞
以前何度かここでも紹介したけど「在郷=いなか」の意。
「いなかもの」と人を差す時は「じぇんごたろ(れ)」となる。
大概は侮蔑の言葉として使われるわけだが
岩手の田舎の人達が誰かを「じぇんごたろ」と言い放っても
そりゃ目クソ鼻クソの世界だろうと思われるかも知れないが(笑)
まぁインドのカースト制度の中でも
バラモンはクシャトリアを、クシャトリアはヴァイシャを侮蔑するもの。
大きな格差社会の中にも小さな格差社会が存在する。
また「田舎者」→「常識知らず・もの知らず」に拡大解釈されるため、
田舎の人間が都会の人間に対して使ってもおかしくはない。
「失言」の某大臣を「じぇんごたろ」と嘲笑するのもアリだ。

「じぇんご」に関してはこんな面白いサイトがある。
岩手弁の勉強が楽しみながら楽々できる。お勧め(^-^)
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言葉と視点

2007-02-07 | 風屋日記
今朝、朝焼け時の月。
澄み切った空に眩しく輝いていた。
くっきりとしたその月を撮ろうと思ったんだけど、
まだ少し薄暗く、
私の携帯カメラではぼやけてしまった。
やっぱ無理か。

    ◇      ◇      ◇

取れ過ぎて廃棄処分になった野菜がもったいないとの声があり、
農水省ないでそれらの野菜を生かす検討が始まった。
というニュースを今朝のTVで見た。
まぁいつもなら「確かにもっともだ」と思うわけだが、
今朝の言い方はちょっと引っ掛かった。

生産者が価格下落を防ぐために廃棄していることに対して、
ニュースでいう「もったいない」との視点は消費者からのもの。
でもね、一番「もったいない」と思っているのは
そしてやりきれない思いでいるのは生産者だと思うんだ。
「それならなぜ廃棄するの?」と思うでしょ?
廃棄処分を指導しているのは農水省なんだよね。
「廃棄した分補助金を出すから」と。
誰だって一生懸命育てたものを捨てたくはないよ。
でもある程度の金額で売れなければ自分達が食べていけない。
生産者はそれで泣く泣く廃棄処分をするわけだ。
田圃の減反と同じ論理。
ちょっと考えるとおかしいよね。
作ることが仕事の人に
「作らなければ」「作ったものを廃棄すれば」お金を払う。
そんなおかしなシステムがこの国にはある。

そして一番気になったのはニュース原稿。
「もったいないとの世論に農水省が腰を上げた」って
まるで生産者が自らの意志で廃棄している悪者みたいじゃん。
そのニュースだけ聞くと農水省が正義の味方みたい。
言葉がほんの少し足りないだけでぜんぜん違う意味になる。


さて例の大臣発言。
一部の人達は「たいした問題発言じゃない」と言ってるみたい。
しかもそこには女性もいるようだ。
まぁ、いろんな考え方があってもいいとは思うけど、
でも例えば「女は生む機械」発言を、
生みたくても生めない女性達がどう感じているのか、
そんなことを想像してみたりはしないのかな。
自分が気にしなくてもその言葉によって傷つく人間がいる。
それだけでも充分に問題発言じゃないのかな。

「この発言を、重箱の隅をつつくように、
 マスコミが面白おかしく騒ぎ立てることを憂慮する」
という考え方でホントにいいのか、問いただしてみたいけれど
直接そんなことを聞く勇気が私にはなかった。
「女は生むのが当然ですから」
なーんていうとんでもない返答が返ってきたりしたら
ナイーヴな私は立ち直れそうにないから(^^;

自分以外の立場の人達を慮って
視点をほんの少し変えてみるだけで全然違う考え方になる。
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旅立ちの季節

2007-02-06 | 風屋日記
昨日の帰りの電車の中、
出入り口近くに立って本を読んでいたら、
すぐそばで何度も鼻をすする音が聴こえてきた。
チラッと横を見たら高校生のカップルの女の子が
ポケットに手を突っ込んだ彼の袖の端を握り、啜り泣いている。
一瞬「喧嘩かな?」と思ったけど、彼は柔和な顔をしている。
そうか。
高校3年生にとっては旅立ちの季節なのだ。
視線は本に落としたままで、ふと昔を思い出していた。

高校3年の時、一応彼女はいた。
今の子たちと違って(?)手すら握ったこともない
ただ仲良しというだけのつきあいだったけれど、
それでも学校帰りにデートしたり、図書館で一緒に勉強したり、
何となく二人でいるのが楽しい毎日だった。
何せ携帯電話もなかった時代、
家で電話をしてると家族の視線が痛かったし
とりあえず受験生という立場だったのでいつも一緒ではなかったけど
その時点では二人とも東京へ行くことになっていたので
淡い期待を未来に抱いていた。

「受験勉強に専念しよう」と別れを告げられたのは11月。
「あなたとのつきあいはココでのみと決めてた。
 東京へ行ったら一人で生きていかなければならないから
 頼ったりする逃げ場所を作りたくない」とも言われた。
ワケがわからず、かなり落ち込み、
それでも意地で(すでに遅いけど)受験勉強に拍車がかかった。

それから数カ月、
大学の合格通知を受け取ってほんの数日後だと思うけど
どこから聞いたのか、彼女からの手紙を受け取った。
「合格おめでとう。私も東京行きが決まりました。
 お互いそれぞれの道を精一杯生きていこうね」
生真面目で、猪突猛進型で、
それでいてハンドボールでインターハイに出たほどの
いかにも体育会系の彼女らしい手紙に苦笑した。

旅立ちの日、当時は新幹線もなかったので東京まで特急で6時間。
今と違って簡単には帰って来れない遠い地への旅立ちは
水盃ほどではないにせよ、覚悟の出立だった。
入院中の親父を除く家族がみんなで見送りに来た駅で
私は彼女の姿を見つけた。
彼女の出立も同じ電車だったのだ。
それから車中の6時間、隣の車両に乗り込んだ彼女を気にしつつ
でも決してこちらから話し掛けるつもりはなかった。
「もう過去のことだ」と自分に言い聞かせながら。

後に聞いた話では
彼女は成増の3帖ひと間、トイレも流しも共同のアパートに暮し、
在学中はほとんど帰省することもなくアルバイトで自活したのだとか。
夢は高校時代の部活による故障のせいで果たせなかったが、
頑張り屋の彼女のことだ。
きっと今もご主人と3人の子ども達とともに
花巻の母校近くに建てた家で幸せな課程を築いていることだろう。

ほんとにささやかな遠い昔の思い出。
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最近

2007-02-05 | 風屋日記
何かに落ち込んでいるわけじゃないよ。
気分が滅入っているわけでもない。
生活上の重大な悩みなんてないし
仕事もまあまあ、そこそこ充実もしている。
そりゃ「海外旅行に出掛けたいな」とか
「ケータイをそろそろ新しくしたい」とか
「DVDプレーヤーだけじゃなくレコーダーが欲しい」とか
したくてもなかなかできないことはいくつかある。
でもそんなのはたいして切迫していることではないし、
気分を左右するほどのことでもない。

とはいえ、
ここのところ何だか意欲が涌かない。
「意欲」というとちょっとニュアンスが違うけど
テンションが高くならないと言うか、腰が重いというか。
無気力というのともちょっと違うと思うけど、
なーんにもせずに、ぼんやりのんびりコーヒーを飲みたい。
タバコをくわえて火をつけて
何かを見るともなく窓の外を眺めていたい。
本を読むのは苦にならないから読書しててもいいけど、
何だか体を起こすことが面倒になっている。

やることはやるよ。
仕事だって、茶碗洗いやアイロンがけだって、
休日には掃除もするし洗濯や乾いたものを畳んだりもする。
ただ外出がおっくうに思えて仕方がないんだ。
混雑しているショッピングセンターなんかとんでもないし、
飲みに行ったり、誰かと話をするのも面倒。
「神楽もバンドも、もういいかな」とすら思っちゃう(^^;
もちろんやらなきゃいけないことはやるけどね。
ただ今はぼんやりしていたいだけなんだ。
野球見たり、白鳥を見に行ったりするのは構わないよ。
ぼーっと見ていられるならね。

毎日電車に揺られながらぼんやりいろんなことを考える。
朝は割とギュウギュウ詰めの電車だけど、
知らない人達の中でひとり窓の外を眺めている。
そんな状態、今は結構好きかも知れないなぁ。
そして家に帰ると母ちゃんととりとめのない話をしながら
夕食を取り、ゆっくりと風呂に浸かる。
それだけで充分に幸せだよ。
そういえば、モリモリ食べていた1ヶ月半ほど前までは
こんな気持ちを忘れていたような気がするなぁ。

季節のせいなのか、ちょっと疲れ気味なのか、
それとももしかしたら歳のせいかも知れないね(笑)
こうやって特別なことは何もせず
少しずつ、少しずつ歳をとっていく毎日。
それも悪くないね。
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ようやく

2007-02-04 | 風屋日記
雪が横に降る朝

いつもの冬はやっかいなその気候も

今年のように

あまりにも穏やかな日が続くと

だんだん不安になってくる

まるで

今の日本の社会のように

ようやく

今日は雪が横に降る朝
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何だかとても嬉しくなった

2007-02-03 | 風屋日記
節分の日の朝日。
古来中国では四季それぞれが「節」と言われ、
節の変わり目が「節分」とのこと。
春から始まる新しい年の健康を祝う日だ。

ただし、当地でもここ数年
「恵方巻」なる風習がTVを通して伝わり話題だが
あくまでそれは西日本の伝統的な慣習。
当地には当地の文化があるはずだ。
商業主義にのっかった妙なグローバル化よりも
まずは自分達の身近な文化を見直そうよ。
・・・ということで、私は太巻きは食べない。

   ◇      ◇      ◇

さて、通勤時に読んでいる本。
実はこの本だけはここで話題にする積もりはなかった。
自分なりのきちんとした見解を文章で表現する自信もなく、
誤解を招きやすいタイトルや内容でもあるからだ。

「セックスボランティア」河合香織 新潮文庫

私の周囲の事情により、
障害を持った方々の性行動について知りたくなり、
書店で散々迷った挙げ句に買って読んでみた。
ただ圧倒された。
私などからは何も言うべき言葉がない。

でもね、すごく心に響いた言葉があったので
それだけでも知って欲しくて、あえて話題にしてみた。

脳性麻痺で車椅子生活のご主人と障害を持たない奥様の夫婦。

夫「やぁっぱり障害者ってぇ大変なんだぁぁって初めて思いました」
妻「今さら思ったんですよ、この人(笑)」
筆「不安ではなかったんですか?」
妻「もし障害が重くなったら本人がつまらないだろうと思う。
  でも、なっちゃったことはしょうがないでしょう。
  ま、生きてるしね」
筆「しかし、大変なこともあるでしょう」
妻「確かに彼ができないことをしてあげることもあるけど、
  でもそれは特別なことではありません。
  私は機械に弱くてビデオの操作ができないんだけど、
  彼がしてくれる。それとおんなじです。」

障害者に健常者が「世話をする」「何かをしてあげる」ではない。
お互いにできないことをしてもらう、してあげる関係。
目からウロコだったよ。
なるほどねぇ。

このご主人、
以前はセックスどころかマスターベーションすら自分でできず、
手伝ってもらうボランティアを探したりしていたというが、
結婚してからはそういう行為そのものには
全くこだわらなくなったらしい。
「障害を持っていながら性欲なんて」
という差別や偏見、批難の言葉が今もあるけれど
要は人間誰でも心や体の温もりが必要だということだと思う。
人間はただ「生きているだけの機械」じゃない。

最後にもうひとつ奥様の言葉を紹介したい。
筆者の「今後どうやって生きていきますか?」の問いに

「このままいければ、のんびりとね。
 好きなことして、二人で笑っていられればそれが一番。
 二人でいると無理をしないでありのままでいられる。
 ただ老けていくだけです。
 このままで、今のままで、二人で一緒に生きていきます。」


※抜粋は私が一部意味は変わらないように編集しています。
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ダイエット&トレーニング 中間報告

2007-02-02 | 風屋日記
たったこの1ヶ月弱で、
当初目論んでいた-4kgのコミットメント目標達成!!
あまりに簡単に達成できたので、急遽目標を上方修正。
コミットメントラインを更に-2kg、
これを達成すると大学卒業時の体重に戻せる。
チャレンジラインも更に-5kg。
ここまで達成すると高校卒業時の体重だ。
夢のような数字となる。

もちろん当時とは筋肉の付き方も体質も違うが、
それでも血圧、中性脂肪、肝臓地、BMIは
飛躍的に改善することは間違いない。
皮下脂肪はまだまだだけど、
内臓脂肪が取れてきているせいでウエストが絞まった。

相変わらず歩く歩数は稼いでいるし、
自分なりのトレーニングも継続中。
普通は痩せると胸の筋肉から落ちていくものだが、
今回は大胸筋と上腕の筋肉は張りを保っている。
臀部をふくむ下半身は
徒歩と階段駆け上がりの成果が出始めて
特に臑の筋肉は固く絞まってきている。



でもね、ちょっと急ぎ過ぎている感もあるな。
今日のような週末は疲れの溜まり具合がひどい。
体がだるく感じている。
無理はせずに、あと数カ月かけて目標に近づこう。
大丈夫、口から摂取しない分、
体内に脂肪として蓄積されたエネルギーが燃えつつある。
ゆっくり、マイベースで。
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親達へ、もう一言

2007-02-01 | 風屋日記
一昨日に引き続き、また少し教育のことを語ろうか。
ここんとこ様々な問題が取り上げられているのはご承知の通り。
イジメ問題、不登校、学力低下、不祥事etc...
でもこれらの問題を教育委員会と先生方に
みーんな責任を押し付けていないかい?

教育基本法を改正すれば解決するだろうか。
教員免許を更新制にすれば問題がなくなるの?
ゆとり教育が学力低下の原因?
うそだよ。誰かをスケープゴートにしなきゃいけないので
先生方が槍玉に上がっているだけだ。

私が学生時代に人気があった先生は
千鳥足でつまづき、夜道で回転レシーブしたとか、
理科実験室にいつもいて
フラスコのコーヒーをアルコールランプで暖めて飲んだとか、
夏にはステテコの上に白衣だけ着て校内歩いているとか、
家に遊びに行くと酒を出してくれたとか、
そんな人間的に魅力のある方々ばかりだった。
今そんな先生方がいたら大問題だよね。
いつから先生方を鵜の目鷹の目で見るようになったんだろう。

重箱の隅をつついて殊更騒ぎ立てる親達がいる。
先生方も反論すれば生徒を傷つける恐れもあるから反論できない。
とにかく謝罪するしかないし、処分も受けることになる。
(厳重な処分がなされないと納得しない人達がいるんだよな)
いきおい、校内の問題を顕在化することに慎重になる。
その結果「隠蔽体質」と言われてまた叩かれる。その繰り返し。
わかってて改善できない、教育現場の苦悩は深まるばかりだ。
私はPTA役員をながいことやったけど、
みんな一生懸命で素晴らしい先生方ばかりだったよ。

学力低下もゆとり教育の弊害と言われているけど、
私に言わせりゃ大学に問題がある。
各大学とも生き残りを賭け、学生を集めることに必死。
その結果、受験生が集まるように受験しやすくするため
入学試験の科目がどんどん減ってきた。
科目未履修問題を見てもわかる通り
受験に必要ない科目はムダに勉強しないという風潮が
結果的に数学系、理科系での学力低下に結びついている。

ゆとり教育は必要だと思うよ。
我々だって学生時代は地域の行事に参加したり、
友人達とバカバカしいことに青春を賭けて入れ込んだり、
部活帰りにはダベりながら道草を食ったもんだ。
そしてその中で仲間を作ったり、
いろんなことを感じたり考えたりしながら
人間的に成長していったように思う。
今はそれがないのサ。余裕がないんだね。
「部活が終わったらすぐ帰って勉強に切り替えろ」なんて
そんな3年間を過ごして人間的に成長できるんだろうか。
受験科目以外の教科は本当に必要ないものなの?

親達がすべて合理的に、効率的に、そして機械的に
勉強も何もかもきっちりやらせないと気が済まなくなり、
そうではない先生方を糾弾していること自体が
現在の問題のかなり大きな原因になっているのではなかろうか。
自分達が学生だった頃を思い出してみようよ。
そして育っていく子ども達の後ろ姿をのんびり見守ろう。
今そういうことに気づかないと、取り返しのつかない時代が来る。
コメント (12)
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