うちの母ちゃんが職場から学芸大付属幼稚園をモデルにした
幼児教育研究用ビデオを持ってきた。
昼間は園児達がいるために、夜家に持ち帰って見て
それに関するレポートを出さなければにらないとのこと。
長男の通う大学でもあるし面白そうなのでつきあってみた。
うん、わかるわかる。初めてみたけど面白いもんだね。
3歳で入園したひとりの男の子を3年間追い続け、
節目ごとに指導ポイントが挿入されているものだった。
ストライキをおこしたり、集団行動を不安に感じたり、
何せ幼児だからそのあたりの表現はストレート。
担任している若い男の先生はその子の心理状況を測りながら
寄り添い、適度に突き放しながら後ろから見、
そしてさりげなくサポートして気持ちを引き出している。
今、国公立の幼稚園では
そうやってひとりひとりをサポートしながら
考える力、他とのかかわり方、相手の心の感じ方、学び方など
総合的に生きる力を育てる教育を目指しているという。
そしてそれは子ども達を自由に行動させながら
その時々に合った指導を臨機応変に行っているのだ。
一見すると、ただ遊ばせているだけのように見えるけれど
子ども達は時々サポートをもらいながら
自分で考えて行動し、毎日新たなことを学んでいる。
少子化対策、子育て支援政策の一環として
全国的に幼保一体化が図られつつある。
上記のような教育を行う文部科学省管轄の幼稚園と
基本的には子どもを預かるだけの機関である
厚生労働省管轄の保育所を一緒にしようというものだ。
意図はわかる。
しかし問題だと思うのは
「幼保一体」という制度としてのハード面ばかりが取り沙汰され、
「教育」というソフト面が語られていないことだ。
しかも幼保一体化は少子化対策、子育て支援だけが目的ではなく
国公立に限っていえば、予算の効率化という側面もあるようだ。
幼稚園と保育所を別々に持つよりも、
一緒にした方が施設費も人件費も無駄がない・・・ということ。
そのために、例えば以前は午前中に保育、
午後は事務処理と教育研究の時間だった母ちゃんの幼稚園では
2年前から預かり保育を始めた途端、午後の仕事ができなくなり、
家への持ち帰りとなってそれが毎日深夜まで続くことになった。
私としては家事と教材作り、給食費決算ぐらいしか手伝えず、
あとは個人の負担となっていく。
そこに本格的幼保一体化が始まるとどうなってしまうのか。
施設にも手を加える予算はないようなので
幼稚園でぎりぎりいっぱいの施設に保育所機能は持たせられない。
教員の疲労、施設の無理は直接子ども達の危険につながる。
私立の幼稚園では英語学習や文字学習を始めとした
個性ある教育を方針として掲げて園経営しているところも多い。
それもいいだろう。
でも幼児教育の基本は「生きる力」だと思うんだ。
コミュニケーションや自分を主張する方法をきちんと学ばないと
成長してからその子自身が苦しむことになる。
知識偏重教育だけでは幼児は育たないと思うよ。
そういう意味では幼稚園でこそ「ゆとり教育」を求めたい。
今、多くの自治体で公立幼稚園廃止が語られている。
教育予算削減のために「民間(私立)でできることは民間で」
という方針の元、すでに岩手県立の1幼稚園の廃園が決まった。
私立の教育方針に対して文科省が指導する範囲は狭い。
親や教育を受ける立場の子ども達の事を考え、
きちんと教育について語られた結果が幼保一体だったり、
あるいは民間活用であるならば何もいうことはないが
それが効率化だったり、「予算がないから」であるならば
企業における先行投資的意味を持つ「教育」の放棄は
日本の将来を捨てているのと同じことだ。
・・・前にもこのテーマ書いたことあったような(^^;
幼児教育研究用ビデオを持ってきた。
昼間は園児達がいるために、夜家に持ち帰って見て
それに関するレポートを出さなければにらないとのこと。
長男の通う大学でもあるし面白そうなのでつきあってみた。
うん、わかるわかる。初めてみたけど面白いもんだね。
3歳で入園したひとりの男の子を3年間追い続け、
節目ごとに指導ポイントが挿入されているものだった。
ストライキをおこしたり、集団行動を不安に感じたり、
何せ幼児だからそのあたりの表現はストレート。
担任している若い男の先生はその子の心理状況を測りながら
寄り添い、適度に突き放しながら後ろから見、
そしてさりげなくサポートして気持ちを引き出している。
今、国公立の幼稚園では
そうやってひとりひとりをサポートしながら
考える力、他とのかかわり方、相手の心の感じ方、学び方など
総合的に生きる力を育てる教育を目指しているという。
そしてそれは子ども達を自由に行動させながら
その時々に合った指導を臨機応変に行っているのだ。
一見すると、ただ遊ばせているだけのように見えるけれど
子ども達は時々サポートをもらいながら
自分で考えて行動し、毎日新たなことを学んでいる。
少子化対策、子育て支援政策の一環として
全国的に幼保一体化が図られつつある。
上記のような教育を行う文部科学省管轄の幼稚園と
基本的には子どもを預かるだけの機関である
厚生労働省管轄の保育所を一緒にしようというものだ。
意図はわかる。
しかし問題だと思うのは
「幼保一体」という制度としてのハード面ばかりが取り沙汰され、
「教育」というソフト面が語られていないことだ。
しかも幼保一体化は少子化対策、子育て支援だけが目的ではなく
国公立に限っていえば、予算の効率化という側面もあるようだ。
幼稚園と保育所を別々に持つよりも、
一緒にした方が施設費も人件費も無駄がない・・・ということ。
そのために、例えば以前は午前中に保育、
午後は事務処理と教育研究の時間だった母ちゃんの幼稚園では
2年前から預かり保育を始めた途端、午後の仕事ができなくなり、
家への持ち帰りとなってそれが毎日深夜まで続くことになった。
私としては家事と教材作り、給食費決算ぐらいしか手伝えず、
あとは個人の負担となっていく。
そこに本格的幼保一体化が始まるとどうなってしまうのか。
施設にも手を加える予算はないようなので
幼稚園でぎりぎりいっぱいの施設に保育所機能は持たせられない。
教員の疲労、施設の無理は直接子ども達の危険につながる。
私立の幼稚園では英語学習や文字学習を始めとした
個性ある教育を方針として掲げて園経営しているところも多い。
それもいいだろう。
でも幼児教育の基本は「生きる力」だと思うんだ。
コミュニケーションや自分を主張する方法をきちんと学ばないと
成長してからその子自身が苦しむことになる。
知識偏重教育だけでは幼児は育たないと思うよ。
そういう意味では幼稚園でこそ「ゆとり教育」を求めたい。
今、多くの自治体で公立幼稚園廃止が語られている。
教育予算削減のために「民間(私立)でできることは民間で」
という方針の元、すでに岩手県立の1幼稚園の廃園が決まった。
私立の教育方針に対して文科省が指導する範囲は狭い。
親や教育を受ける立場の子ども達の事を考え、
きちんと教育について語られた結果が幼保一体だったり、
あるいは民間活用であるならば何もいうことはないが
それが効率化だったり、「予算がないから」であるならば
企業における先行投資的意味を持つ「教育」の放棄は
日本の将来を捨てているのと同じことだ。
・・・前にもこのテーマ書いたことあったような(^^;
爺婆としては幼児教育は、大きなテーマ。
本当に今の世の中子どもをどこに持って行こうとしているのでしょうか?
さて正体ですが、時々神楽をのぞきに行くさもない爺です
。そうですか、笛の名手は東京の空の下ですか。
学芸大駅の傍に住んでいた事も有ったな。懐かしい青春の
お思い出ですね。終電車の帰り道、閉まったスーパーの前のおでん屋で強くは無かったけれどモッキリを引っかけて帰り寝坊した経験だけが蘇ります。とは言っても今は学芸大は武蔵野だものね。もう東京を捨てて31年になりました。
私は保育園に通ってました。(うちの田舎では保育園の方が逞しいイメージだった気がします^^;幼稚園はちょっとお上品な感じ!)
私は幼児教育の分野について本当に疎いので単なる質問なんですが、個々の能力を伸ばすためにばらばらを許してるって本当なんですか??私のときは、今日は粘土で遊ぶ日と言われれば、嫌でも(そう私はあんまり好きじゃなくて絵描く日が好きだったの汗)粘土だったんですけど…。
今でも覚えているのは、放送が入ると、ほうそうです!!って皆で叫んで両手を胸に当てて黙る。というルール。高校生にもやらせたいくらいです。笑。
自分のところで近々記事にします。
トラバさせてもらうと思います、よろしくです。
>奥寺堰さん
そうですか。うちの長男のこともご存じでしたか。
東京に住んではいますが神楽をする時は別のようです。
来週末の春祈祷にも帰ってくる予定です。
ただしアメフト部の練習が18日から始まるので
春祈祷に出るのは17日だけですが。
今後とも上根子神楽をよろしくお願いします。
>mkさん
昔と違って今は全体的な活動は
少なくとも国公立の幼稚園では行いません。
ひとりひとり成長が違うのでサポート方法も違います。
普段の遊びの中からその子なりの成長に合わせた
細かい指導がなされているようです。
ただし当地の保育所はまだ全体行動しているようですが。
>園長さん
了解です。楽しみにしています。
よろしくですぅ~。
お邪魔してみます。