風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

終戦の日

2022-08-15 | 世界・平和
もし自分が明日出撃を控えた特攻隊員だと想像してみた。
まだ人生これからという20代前半ながら、明日命の灯が消える。
どんなことを思うだろうか。
まず、自分の体が明日無くなってしまうことを思う気がする。
目も、鼻も、手も、腕も、足も・・・すべてが愛おしい。
生まれてからずーっと自分と共にあった体。
好きな部分も、コンプレックスになっている部分も
すべてが愛おしくて撫でさする気がする。

そして家族や仲の良い友人たち、恩師を想うだろう。
物より人を想うと思う。
それぞれの人たちの笑顔や優しい顔を思い浮かべる。
自分がいなくなった後のみんなの幸せを願う。
いつまでも笑顔をいて欲しいと想う。

最後に、なぜこんなことになってしまったのか考える。
自分が望んで自死を選んだわけじゃない。
自分が望んで殺し合いをしているわけじゃない。
誰が自分の死を望んだのだろうか。
誰が始めた戦争なのか。
そのために死にゆく人たちは誰のために死んでゆくのか。

戦争を始めるのは為政者や軍のトップだ。
理由は大抵「国を守るため」。
そう言いつつ、そのために名も無き一般人たちが死んでゆく。
国というのはあくまで概念だ。
国民がいなければ国なんていう概念は成り立たない。
国民に死を求めるなんてのは本末転倒。
国を守る=国民を守る・・・であるはずだ。

明治維新から昭和20年の終戦まで77年。
その終戦の日から今日で77年になる。
日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と
戦争の時代だった前半とは違い
国として一度も戦火を体験しなかった後半。
それは戦後制定された日本国憲法のおかげだろう。
よく考えてみよう。
これからも戦争を体験することなく過ごすために
何が一番大事なことなのか。

77年前を思いながら、合掌。
コメント
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