風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

その時代、その人の立場で物事を考える

2018-09-12 | 世界・平和


NHKの大河ドラマ「西郷どん」を見ていて考えることがいろいろある。
岩手の人間としては奥羽列藩同盟の一員として薩長は「敵」だから
いろいろ複雑な思いで薩長同盟締結のシーンを見ていた。
幕府を倒すために武力を使わざるを得なかったのはドラマでわかったが、
それならなぜ会津ではあんな残酷なことをしたのか。
実は薩長軍は単なるテロリスト集団だったのではないか・・・
一方で祖父は長州出身ということもあり、
特に井伊直弼による安政の大獄や新選組による志士虐殺などは
心情的に引っかかるところがある。
さて、当時私が南部藩の武士だったら、長州の武士だったら
あるいは新選組だったら・・・と考えてみる。
お調子者の私のことだから、きっとその立場の「正義」に酔い、
威勢のいいことを言って先陣切って飛び込み戦死していただろう。
どの立場だったとしてもだ。
決して西郷や大久保や桂や坂本みたいに思想を論じることもなく。

昭和の初めから終戦までの日本は
今考えてみると、国全体がある意味狂気に駆られていた時代。
自らの命を以って国を守ることこそ唯一の美徳とされ
異を唱える人々は「非国民」と罵るだけだった。
そんな中でも天皇神格視や覇権主義、帝国主義、軍部台頭を危惧し
牢獄につながれたり、命を落としていく者もいた。
さて、私が当時市井の人間だったらどうだっただろうか。
お調子者の私のことだから、きっとその立場の「正義」に酔い、
威勢のいいことを言って、真っ先に志願兵となったり
あるいは周囲から影響を受けた場合は地下に潜って抵抗し
最後にはどちらの立場だったとしても無為に命を散らしただろう。

昭和35年から50年ぐらいにかけ
世の中は高度経済成長時代であったと同時に若者の氾濫の時代だった。
おそらく若者たちの思想の根底には経済成長一辺倒の社会への
アンチテーゼとして「正義」があったのだと思う。
しかし残念ながらその思想が先鋭化していった結果、
榛名山粛清事件や内ゲバへとその行動が変質していった。
さて、私が当時市学生だったらどうだっただろうか。
お調子者の私のことだから、きっとその立場の「正義」に酔い、
先頭切って威勢のいいアジテーションを繰り広げ
だんだん追い詰められていったことだろう。
あるいは(ほんの1〜2年の違いによると思うのだが)
さっさと社会へ出、冷ややかに彼らの活動を眺めながら
当時「エコノミーアニマル」と海外から称された企業戦士になったかも。

私が育った時代は嵐の季節が熾火となり
何をやっても無駄という無力感の中で変動相場制が始まり
いよいよ日本がグローバル経済の荒波に巻き込まれた転換期。
そんな大きな波の翻弄されながらも、
無気力世代、シラケ世代、迎合世代と揶揄されてきた。
幸か不幸か、そんな時代に生まれ育ったためか
さまざまな「正義」を客観的に眺めることができ
冷静に物事を考えることができているのではないかと思う。
(だからこそオウムなどの渦に巻き込まれずに済んだ?)
しかし、過去の出来事を今の価値観で測ることはできない。
今安穏としながら客観的に時代を検証したとしても
未来が見えないその時々に、それぞれの人々の考え方や行動を
高みから批判したりはできないのではないか?
その時代のことを知り、そこにいた人々の心情を推し量って
その立場で物事を考えないと、その本質は理解できないのではないか?
勝手に罵ったり、「正義」振りかざしたりすることの恐ろしさを
私たちは歴史から学ぶ必要がある。
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