あえて「文化」カテゴリーで。
タイトルを「バンカラ」や「バンカラ応援」にしなかった。
なぜなら花巻北高を始めとする岩手県の伝統校に引き継がれている
いわゆる「バンカラ」はファッションでも応援スタイルでもないから。
それをちょっと説明したくて、今日はこの話題。
以前NHKの国際版番組→こちら で花巻北高のバンカラが取り上げられた。
この番組を見ると、バンカラは応援だけのようにも見える。
しかし本当のバンカラとは哲学であり、理念であり、ライフスタイル。
元々は旧制高校生たちのスタイルだった。
ハイカラな風潮のアンチテーゼとして、
軽佻浮薄に陥らず、普遍なものを追い求めて哲学と思索を追求した。
そこには「格好なんぞに気を使っていられるか」という気概があった。
もちろん貧しい時代だったということもある。
特に戦争前後は服も靴も満足に手に入らないし、
あっても買えない苦学生もたくさんいた。
服が敗れれば繕って着るし、靴がなければ下駄で通学する。
ハンカチなんて洒落たものは持っていないから
腰に手ぬぐいをぶら下げて、手を洗うとそれで拭いていた。
それで良しとする気風がバンカラでもあった。
戦後学制改革があり、新制高校(旧制では中学校)の時代になっても
スニーカーやデイパックなどというハイカラなものはないから
ズックのカバンを肩から下げ、つんつるてん(これ死語か?)の学生服に
裸足で下駄・・・これが全国的に普通の学生の姿だった。
時代は高度経済成長の時代を迎える。
ものがどんどん市場に溢れてくるようになり
都会の高校生たちは革靴を履き、おしゃれをして通学するようになる。
岩手の高校生たちもどんどんいろんなものを身につけるようになっていった。
いつの世も若い世代は最先端なものに敏感なのだから。
その中で、旧制中学から続く伝統校では
先輩たちから続くアイデンティティともいうべきスタイルを変えることを
決して良しとはしなかった。
私が高校時代の1970年代後半頃は
一般生徒も手ぬぐいを腰に下げ、下駄や足駄を履いて
先輩から受け継いだボロ帽子をかぶって街を闊歩した。
それから約40年。
まだまだ母校にバンカラは生きている。
バンカラスタイルの一般生徒こそ見なくなったが、
応援団幹部たちは我々の頃からずーっと引き継いできた
ボロボロの学生服を着、腰手ぬぐいに足駄で歩く。
それはOBとしてはとても嬉しいことだし
社会全体が貧しいわけではなくなったこの時代まで
伝統を受け継いでくれることに感謝もしたい。
たださすがにその程度は「服」ではなくなりつつある。
精神を受け継いでくれていることをOBなら理解はできるが
外部から見るとコスプレにしか見えなくなっているのかもしれない。
代々受け継ぎをやめろと言うつもりはないが、
もっときちんとした修復を考えていい時期かもしれない。
それと、ひとつだけ後輩たちに考えて欲しいことがある。
冒頭書いたように、バンカラは単なる応援スタイルではない。
また「漢」とか「硬派」とかいう言葉が並ぶ
いわば体育会系のスタイルとはある意味真逆の概念だ。
どちらかというと、本質を見極め、真理を追究する、
哲学的、文化的概念を基本とするライフスタイルだと思う。
だから「押忍」という言葉は我々のバンカラの概念には似合わない。
イメージは「鉄人」ではなく「哲人」。
10代の高校生にそれを求めるのは酷かもしれないが
我が校の後輩たちだからこそできると信じている。
部活に、勉学に、目指すべき進路に、精一杯青春を懸け、
一見どうでもいいように見えることにも情熱を燃やしながら、
今この立場だからこそできる様々な分野の読書や思索に
できるだけ時間を割いて、リベラルアーツを身につけて欲しい。
それが桜雲同窓生としての資質を育むことになると思うし、
現代を生き抜く術にもなると思うのだ。