風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

MICCO in MORIOKA

2013-11-17 | 音楽


昨夜は盛岡のbar&cafe The Sにて
友人であるJAZZシンガー下村瑞枝(MICCO)さんの
初めての故郷凱旋ライブがあった。
30人以上の来場があり、店の中はいっぱい。



バックは地元で音楽活動を続けている
これまた友人の及川浄司さんのカルテット。
わかりやすいスタンダードナンバーを中心に
暖かいアットホームなライブ。
特にラストナンバーに選んだ「Smile」は
震災で心身ともに傷ついた人たちへ向けた1曲。
聴きながらウルウルきてしまった。



この店のベーゼンドルファーは
津波に遭ったあと復活を遂げた奇跡のピアノ。
素晴らしい音色を奏でていた。
そのエピソードを、ちょっと長いが引用しよう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011.3.11

東北地方を襲った未曾有の地震は、
海辺に近い街々を
恐ろしい津波の渦に巻き込みました。

当時、岩手県の宮古市にあった、
その店の“ベーゼンドルファー”も、また、
津波の被害を受け、一夜明けて引き揚げられた時には、
海水と泥砂が浸食し、
一音もその音色が響くことはありませんでした。

1940年代に生まれた、そのピアノは-
その生涯の大半をドイツで過ごし、
時を経て、遥々日本にやってきました。

第二次世界大戦の戦禍を抜け、
たくさんの終焉と涙を、その音色で優しく包み、
人々の人生によりそってきたベーゼンドルファー。

ウィンナートーンの音色を恋われ、
新たな地でたくさんの人に愛され、幸せな時を過ごし、
このまま穏やかな時間が過ぎていくと思っていました。
あの、恐ろしい瞬間が訪れるまでは…

この時、その冷たい海水の中で、失われていく音色が、
ひとつ、またひとつ、増えていく毎に、
ピアノは本当の涙の意味を知ったのかもしれません。

そして、洗っても、洗っても、
わずかな隙間から津波による塩害が
襲ってくることは避けられず、
二度と音を奏でることはない、と言われました。

けれど、このピアノが奏でる音を、
どうしても、どうしても、諦めることが出来ず、
どうしても、どうしても守りたい人がいました。

バーカフェ“The S”のオーナー、堀内 繁喜さん。

堀内さんは、自らも全てを失いながら、
このピアノに未来を懸け、希望を託し、
出来うる限りピアノを分解し、
海水と泥砂を丁寧に、丁寧に洗い、
ひとつ、ひとつを包むように拭っていきました。

これが本当に正しいことなのかも分からず、
無我夢中で拭い続け、
ただ、ただ…
ひたすら蘇ることを信じ続けた、
まるでピアノ線の上を歩くような時間。

その深くて、強い、身体中から振り絞るような願いは、
冷えきったベーゼンドルファーの身体を温め、
優しく包み、新しい命を吹き込みました。

蘇ったベーゼンドルファー。
もう二度と、
その音を奏でることはないと言われたピアノ。

しかし、その絶望から再び立ち上がったのは、
そのベーゼンドルファーを愛する、
“決して、あきらめない!”という、
強い想いがあったから…。

そして、その想いに、
すべてを委ねる勇気をもらったからでした。

だから、今度は、ひとつでも多くの、
傷ついた心を温めたくて、
やがて震災から3年の月日が経とうとしている
現在(いま)も、
精一杯の“想い”を奏で続けています。
コメント
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