風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ぽえむ

2013-08-29 | 読書
大学受験で上京した際、試験がひと通り済んだあとで、
花巻へ帰る前に参宮橋の受験生村から阿佐ヶ谷へ向かった。
そこにある喫茶店ぽえむへ行くためだった。
ほんの30分、1杯のコーヒーで満足したワタシは
後ろ髪引かれるように上野へ向かった。
大学に入学し、東京に住むようになってから
大学がある街の駅前にも、
そしてアパートに近い国電(今のJR)の駅前にも
喫茶店ぽえむがあることを発見し苦笑いすることになる。
そしてそれらの店は
あれから30数年経った今もそこにあり続けている。
当時の思い出の中にあるたくさんの店の中で、
今も唯一残っているチェーン2店舗。



なぜ喫茶ぽえむにそれほど行きたかったのかといえば、
高校時代にハマっていた故永島慎二氏の漫画による。
戦争で焼け出され、まだ小学生時分に浮浪者になるなど苦労をし、
中学校も中退してローティーンの頃から漫画家を目指した氏は
手塚治虫氏やさいとうたかお氏などと切磋琢磨しながら
ようやく独り立ち。
そんな20代前半のころに苦しむ時代を迎える。
どう表現するか。漫画は子ども向けだけでよいのか。
仕事が手につかず、夜の新宿へと出掛けていく日々が続く。
その頃描いていたのが「漫画家残酷物語」。
短編ひとつひとつのタッチも違い、
実験的な表現を試しながらも哲学的な悩みを描き、
苦しむ様が無防備で感じられる。
後にその頃のことを描いたのが「フーテン」。



その悩み、苦しみ、それでいてデカダンに陥る様に
まだ高校生だったワタシははまった。
そんな氏が通っていたのがポエムだったのだ。

氏の、ある意味鬼気迫る作品はテレビドラマにもなり
(「若者たち」・・・ドラマ名は「黄色い涙」)



晩年は寂し気な顔のピエロのイラストをよく描いたり



すべてを受け入れ、達観した「風の吹く街」という
シンプルながら哲学的な作品を残したりもしている。



苦悩を描きつつも独特のセンチメンタリーを持った永島作品。
それらそのものが「ぽえむ」だった。

しかしこれほどまで苦しみ、考え、陥り、のたうつ人生が
現代社会にあるだろうか。
「青年期に悩むとはこういうこと」という様を見せつけられ
これから独り家を出ようとしていたワタシは瞠目した。
「独りで生きるのだ」「のたうちながら自分の道を探す」
そんな思いとともに都会に出て行く決意をした。

さて、今のワタシは
晩年の永島氏のような悟りを得ているのだろうか。
もう一度振り返ってみるために
久しぶりに頁をめくってみようと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする