風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

旅の終わり

2013-08-26 | 音楽


両親とともに東北~北海道を転々とし、
中学までは成績優秀だったらしいが
経済的理由から高校進学も諦めて
母とともに盛り場で歌ってきたという育ち。
東京の場末で歌っていたところをスカウトされてからは
知的で端正なルックスと鬼気迫るハスキーボイスで
一世を風靡した怨歌の歌い手だった10代~20代。
圭子の夢は夜ひらく」の歌詞の通り
昭和の時代の不幸を一身に背負ったような経歴もまた
彼女のイメージを形作ったのだろう。

でもね。
自我が確立するかしないかの年齢で
親や大人の都合や戦略で自分を形作られた結果、
不幸の影を常に背負わなければいけないと
自らを縛り付けたような人生だった気がしてならない。
ようやく落ち着いた家庭をもち、
娘も生まれてささやかな幸せを築けたのだろうが、
その愛する娘が天才と言われ
徐々に自分の手を離れて独り立ちしていった中、
空の巣症候群も併せて
自分の存在意義がまた揺らぎ始めたのではないか。
まして夫は音楽プロデューサー。
娘の音楽活動について、自分だけ仲間外れと感じ
より孤独感を増していったのではないかと想像する。

いま各種報道から彼女の一生を鑑みてみると
亡くなるまで自分探しの旅だったように感じている。
何とか必死に自分自身の人生を模索し
掴み取ろうとした結果の結婚と離婚、引退と復帰の繰り返し。
そう想像してみると、
両親とともに流浪の旅をしていた頃の方が
まだ幸せだったのではなかろうかという気がしないでもない。
彼女の安住の地はどこだったのだろう。



子どもの頃は演歌にはまったく興味無かったが
なぜか藤圭子さんだけはとても気になる存在だった。
ルックス的に従姉妹と似ていたこともあろうが、
地の底から響いてくるようなあの歌が
暗く絶望的でありながら
どこかBluesだったせいなのかも知れない。
考えてみれば
アメリカ南部の元奴隷たちが絶望的な貧困人生の中で
その生活を歌った初期のBluesと藤圭子さんの歌は
spiritsが同根だったといえるのではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする