風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

神楽 2

2004-09-21 | 風屋日記
奈良時代~平安前期頃、中国から散楽という芸能が伝わった。
道教や儒教を元にしていたらしいその芸能は徐々に猿楽と呼ばれるようになり、
古来からある民衆芸能の田楽とともに、世に知られるようになった。
この猿楽が能や神楽の原形といわれている。

猿楽に長けた集団は、人が集まる場所を探して芸能を披露し、
それを目当てに更に人が集まってきたらしい。
当時人が集まる代表的な催事は祭だ。
猿楽と祭は切っても切れない縁となり、祭を司る寺社ともつながりを持つようになる。
というより、布教のため、人を集めるために、
寺や神社が猿楽集団を抱え始めたという方が正しいかも知れない。
猿楽はそれぞれの寺社の庇護の元に、その技を磨いていった。

平安初期に遠く奥羽の地に伝わり、平泉文化の中で継承されていったのが、
今も重要無形民族文化財に指定されている「毛越寺延年の舞」と思われる。
その後、修験宗の寺に抱えられ、
修験色を強めた芸能に変化しながら山に隠っていったのが山伏神楽であるようだ。
修験僧達による修行の業が、その力強い動きの中に残っている。

一方、鎌倉から室町時代にかけて、技にも長け、政治力を持つ集団が、
各地の有力者達の庇護を受けるようになってくる。
彼らはいつの間にか「技能に長けたもの=能ある者」と言われるようになった。
さらにその芸術性を高め、新たな技や演目を加えていった結果、
それは単に「能」と呼ばれるようになっていく。

ここまでが成立期のお話だが、この説を裏付けるウンチク話がある。
能の演目の中で最も古く、猿楽の時代から舞われているものに「翁」がある。
式三番と呼ばれる「千歳(せんざい)」「翁」「三番叟(さんばそう)」がそれだ。
一方、山伏神楽には式六番と呼ばれる定番の6つの演目があり、
その2番目が「翁舞」、3番目が「三番叟」となっている。
特に私の所属する神楽では、「翁」の前に「千歳」を舞う。
我々の「翁舞」の幕出し(登場の際の謡)も、能の「翁」の謡も
「~鳴るや瀧の水~」という文句が共通している。
同じように神楽の「八幡舞(はちまんまい)」と能の「弓八幡(ゆみやわた)」の謡、
「~曇らぬ御代は久方の 月の蔓の男山~」が共通だ。

国を代表する芸術芸能と民衆芸能の共通点。
なかなか面白い話・・・と思っていただけたら幸いだ。
この後は、さらなる歴史の他、山伏神楽と能との関係について語ろうと思う。
つづく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする