風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

人の最期

2004-09-11 | 風屋日記
昨日の祭初日でかなり疲れた。歳かな・・・。
朝起きてみて、かなり疲れていたので今日の神輿は休むことにする。

一昨日のrwwaさんのコメントを読んで色んなことを感じた。
うちの親父の最期の言葉は「お母さんは?」
肺の病気で、最後の3日間は血中酸素濃度が下がり、半分意識のない状態だった。
2晩ほどは寝ていない状態だったため、体力が持たないと思い、
耳元で「少し寝た方がいいよ」と言ったら、うん とうなずき、
身を起こしてゆっくり歯を磨く仕種をした。
もうろうとした中で、いつもの寝る前の習慣が残っていたのだろう。
黙って見ていたら、歯を磨き終わったらしく「お母さんは?」と
母の事を聞いてきた。
「お母さんももう休んだから、お父さんも休みな」
と言うとゆっくりうなずいて身を横たえ、そのまま呼吸が停まった。

世の中には予期せぬ理由で、一瞬のうちに命を落とす人もいるので、
その人らしい最期を迎えることができるというのは幸せな事なんだと思う。
その「その人らしい最期」は、見送る人に色んな思いを抱かせる。

私の伯父と伯母は、昭和のはじめ頃に駆け落ち同然で結婚したという。
いわゆる「身分の違い」ってやつで、伯母がお嬢さんだったらしい。
伯父と伯母はその後50年にわたり、仲良く連れ添ってきた。
伯母の最期、下顎呼吸を続けている時、
見下ろしていた伯父が突然伯母の頭に手を置き、「さよなら」と言った。
その瞬間伯母の呼吸が停まり、血圧がすとんと落ちた。
そばに居た私はその光景に驚きつつ、とても感動したことを覚えている。
伯父も2年前、いかにも伯父らしい最期を96歳でとげた。

人が生きるということは、一瞬ごとに歴史をつくっていくことだ。
人の色んな思いをリレーして、世代は移り変わる。
思いをリレーする瞬間というのも最近になって感じるようになった。
昨夜のNHKTVでの「神楽を受け継ぐ子供達」の中で
小さい孫に教える神楽の代表が、孫の初舞台を見ながら
「私の初舞台の時の、当時代表だったおじいさんの思いを感じた」
と言った瞬間も思いをリレーした瞬間だと思うし、
最期もそうなんじゃないかな。

私の最期はどんな迎え方になるのだろうか。
せめて自分らしい、納得した最期を迎えたいものだなぁ。
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2004-09-11 | 風屋日記
今日は以前書いた地元の祭。
・・・ということで、どたばたで書き込む時間がない。
申し訳ないが、3日間のお休み。

皆さん、昨日の書き込みに対し、たくさんのコメントありがとう。
コメント (2)
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