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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

夕陽と音楽

2023-08-12 | 生活の風景

暑い1日だったけど
湖のほとりの木陰は風が通って気持ちよかった。
あちらこちら飛び回り、車で80km走った
午前中から夕方まで撮影の日。
仕事が終わったあと日陰でちょっと語り合い、
すべて片付けて
なぜかフランク・シナトラ聴きながら夕陽。
その瞬間「あ、生きてて良かったな」と思えた。
ヘタすりゃ3月に死んでた身。
いつも聴いているジャンルの音楽じゃないけど、
こういうのもいいね。
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お盆

2023-08-11 | 生活の風景

北国の夏はもう最後。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるけれど
当地はお盆過ぎるともう朝晩はかなり涼しくなってくる。
虫の声が大きくなったり、トンボが群舞を始めたり。

まだ親父しか入っていないお墓をお参りし
隣の母方祖父母のお墓も拝み、別なお寺に移動して、
22年前に8歳で病気で亡くなった姪のお墓にもお線香を供える。
以前は一族郎党みんなで母のいる実家に集まり
ワイワイ賑やかにご飯を食べたりしたけれど
かつての子どもたちはみんな大人になって独立、
それぞれ家庭を持って子どもがいる。
今は我々夫婦と母、あとはその日来れる人だけ参加だ。
こうやって時は流れていくんだな。

盛岡の父方の祖父母や伯父たちのお墓は今年墓仕舞いをした。
もちろん親戚のお墓を拝みに盛岡へは行くけれど
これまでよりもどこか肩の力が抜けた感じ。
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これからお前は里に住め

2023-08-08 | 生活の風景
先日、ちょっと探したい場所があって
深い山道をドライブした。
新鉛温泉を過ぎ、豊沢ダムを過ぎ、ダム湖の反対側まで、
宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」の舞台であるなめとこ山が見える
銀河なめとこラインと雫石への山道の分かれ目付近
かつて野外活動センターがあったあたりまで。


ダムからしばらく走ると、目的のひとつであった
ダムに沈んだ豊沢集落の痕跡として記念碑を見つけた。
でも残念ながら見つけたのはそれだけ。
野外活動センター跡近くの目的の場所は見つけられなかった。
鬱蒼とした森と草が道路の両脇を埋めているだけ。
そりゃそうだよね。
探していたのはもう100年以上前の痕跡だから。
しかも猛烈なアブの大軍に取り囲まれて
車から降りることすらできなかった😅
なにせ車を停めた途端に
大雨が降ってきたかのようなアブが車体にぶつかってくる音💦
あれはヤバい・・・。

帰ろうとしたら、
フロントガラスにまだ羽が小さいバッタが。


車にとまった虫は総じて、走っている間は風圧で動けない。
そのまま走り、山から降りても信号に引っかからずに
25Km離れたまちまで来る間中、
バッタは動くことができずにフロントガラスにへばりついていた。
車が止まってようやく動き始める。
人に会うこともそう無い山の中から花巻のまちへとやってきたバッタ。
のそのそ車から跳んで離れようとしているヤツに言葉をかけた。
「これからお前は里に住め」
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気づいたら夏だった

2023-08-01 | 生活の風景
7月が終わった。
とんでもなく長かったような、
一方であっという間だったような1ヶ月間。
6月30日に開催した高校同期会が遠い昔のようだ。
はっきり言って仕事は何もしていない。
仕事をする暇も、仕事に着手する意欲も無かった。
(もちろん以前からの予定だった講師や取材は行ったけど)
だから収入も1ヶ月無い。
春先からの支払いが立て込んでいて、
銀行口座にももう残金が無くなってきた。

でもね、この間にじっくり自らを顧みた。
今の自分、これからの自分に何ができるのか。
これからどうすべきか。
もちろん結論はまだ出ないんだけど
もしかしたらとても大事な時間だったのかも知れない。

気がついたら夏だった。
ユウガオも、ナスの揚げびたしも今シーズン初。



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土用丑の日

2023-07-30 | 生活の風景

頂き物のうなぎだけど😅
最近食べてるご飯はいつもこのぐらいの量。
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38度

2023-07-29 | 生活の風景

先日の車の温度計(車外)。
花巻でこの気温は久しぶりかもしれないな。
16年前の第一回イーハトーブ音楽祭の時は連日こんな気温で
ひなたで演奏していると気が遠くなりそうだった。

でもね、なんか歳とともに暑さを辛く感じなくなってきた。
東京でしばらく暮らしていたせいで慣れたのかもしれないけれど、
この日も車から降りて「あー今日は暑いね」ぐらいの感覚。
嫌だとか、うんざりとかいう感じはない。
かつては
「冬の寒さはその分着ればいいけど、夏は脱いでも暑い」
と思っていたけど、今は冬の寒さの方が堪えるな。

・・・という話を先日知人にしたら
「だから年寄りは熱中症になるんだ」と言われた。
危ない、危ない・・・😅
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7月24日

2023-07-24 | 生活の風景
金曜日はシニア大学の講師、
土曜日はライター講座のゲスト講師、
日曜日は湯口郷土史講座講演集の記録担当。



とりあえず以前から予定の仕事だった週末を終えて
今日は葬儀。
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気分転換

2023-07-22 | 生活の風景
今年は年頭からとにかくいろんなことがあった。
仕事のこと、病気のこと、親戚のこと、そして家族の不幸・・・。
半年ちょっとでこれだけのことが押し寄せるってそうは無い。
自分の中でそれらが処理しきれず、キャパオーバー気味。
何も手につかない。何もする気になれない。
頭と体がバラバラで、何か考えても体がついていかないし
どうにか体を動かそうと思っても考えが追いつかない。
かといって、以前のように一服もできないし、1杯も飲めない。
こんな時は気分転換で、ちょっと贅沢な甘いものを。


ひとりで食べて、コーヒ飲みながらぼーっと。
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思い出の家

2023-07-18 | 生活の風景

花巻温泉に花見に行った時の母方の祖父母と私。
別な写真で母がおぶった12月生まれの妹がまだ乳児だから
おそらくこれは昭和38年の春。
私は2歳と8ヶ月だったことになる。
現在92歳の母は当時31歳。
ともに明治生まれの祖父は56歳で祖母は55歳かな?
今の私よりも若い。

紫波町彦部に生まれ、小学校の先生だった祖父は
笹間や湯口、東和町小山田、石鳥谷町大瀬川などあちこち転勤。
家は当時の花巻町営住宅の払い下げを受けたのだそうだ。
大正時代〜昭和初期建築と思われるその家で
母の兄弟6人はみんな育ったという。
私も、両親2人とも教員だったので祖父母の家にお世話になった。
保育園や幼稚園から祖父母の家に帰り、
小学校時代も自宅が近かったのでしょっちゅう遊びに行っていた。
母の兄弟は盛岡や首都圏在住だったり、転勤族だったりで
花巻に住んでいたのは伯母の家と我が家だけだったし
その中で男の子は私だけだったので
特に祖父にはとても可愛がってもらった。
マルカンでごちそうになったり、ぶどう園までサイクリングしたり。
祖父母の家では、祖母の和裁用の裁断板を滑り台にしたり
畑の片隅で飼っていた鶏に餌を与えたりして遊んだ。

どちらも90代で祖父母が亡くなったあと
その家には母の姉である伯母がひとりで住んだ。
早くに伯父を亡くし、娘たちも家を離れてひとり暮らしだったが、
畑で作った野菜などを持ってよく我が家にやってきた。
その伯母が施設に入ってからは空き家になっていたこの家。
コロナ禍を経て、伯母の三回忌に合わせた納骨に
みんなが集まり、この家のこともさまざま手続きがあった由。
家の中の片付けも行い、
あの頃の祖父母が住んだ痕跡もたぶん無くなるだろう。



最後は集まったみんなで
「さくらんぼの木があった」「桑の実も食べたね」
「風呂は檜の風呂でおじいちゃんは熱い湯に入っていた」
「その前は五右衛門風呂で・・・」などなど
思い出話に花が咲き、それぞれ欲しいものを引き取った。
(私は貴重な本類をいただいた)

今のところこの家を壊すのか、維持するのか
売るのか、そのまま持っているのかはわからないけれど
ともあれ思い出の家とともに、
この家での祖父母との思い出とも一旦お別れ。
ありがとうございました。
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寄り添ってくれる対応

2023-07-17 | 生活の風景

5月に産まれたばかりで先週急逝した孫。
たった1ヶ月半の人生だった。
親たちも、我々も、あまりに突然で
簡単には受け入れられない状況。
「葬儀屋に連絡を」「お寺にお話して」と言われても
そんなこと考えたことすらなく、なにが何やら。
第一頭の中はそれどころじゃない。

最初は紆余曲折があり、いろいろドタバタもあったが
(最初の時点から手伝えばよかったと反省)
最終的にお世話になることになった葬儀屋さんは
途方に暮れる我々に寄り添う対応をしてくれた。
まずは何より火葬が必要ということで
和尚さん立ち会いなしの、近親者だけで見送る方法を考えてくれた。
しかもギリギリまで待っての日程。
「それを終え、落ち着いてから葬儀をしましょう」
と。



小学生のお兄ちゃたちからの手紙を入れた小さな棺は
昨日産まれて何日もいることがなかった家を出て
同じく小さな骨箱となって帰ってきた。

決まったやり方に固執することなく
しっかりと状況に向き合わせてくれた葬儀屋さんに
心から感謝。
おかげでじっくり葬儀についても検討できた。
7月24日13時より、西村葬祭会館にて。
静かに見送りたい。
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盛岡グランドホテル

2023-07-16 | 生活の風景

もしかしたら最後に来たのは2014年かな?
9年ぶりのグランドホテル?
会社役員時代は何だかんだとしょっちゅう来てたのにね。
久しぶり過ぎて、
危うく入口を通り過ぎるところだった💦
以前のように
盛岡のまちを見下ろす風景を撮りたかったけど
偉い方々がずらりと並んでいたので
ちょっと恥ずかしくて断念😅
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体験してわかった本当の恐ろしさ

2023-07-11 | 生活の風景

先週金曜日の夕方16時半ごろ、
目眩とちょい熱っぽい感じでいつものクリニックへ。
先生待ち構えたようにPCR検査して
「やっぱりね。コロナ陽性だと思ったんだ」と😅
「アナタは心臓の基礎疾患持ってるから
 かなり高価な薬出します。今は国の対応で無料だけどね」
重症化リスクを下げるためのウイルスの増殖を抑える薬らしい。

自宅には年寄りがいるので、帰ってすぐ監禁部屋へ。
熱は37.8度ほどで、目眩や倦怠感はあるけれど
喉の痛みや咳などはこの時点では無し。
ご飯食べて(独房差し入れみたいにおにぎり)すぐ寝た。

翌土曜日は朝から熱が上がる。
38.5度になった段階で、前日処方してもらったカロナール服用。
ダルさ、体中のザワザワ感、目眩などひどく
ほぼ一日中寝て過ごす。
夕方あたりからちょっと痰が絡むようになってきた。
あまり眠れず。

日曜日は朝4時ぐらいから喉の痛みで目が覚める。
唾を飲み込むのもしんどい。
トローチ舐めたり、ペットボトルのお茶飲んだり。
3月以来毎朝測っている血圧はこれまでの最高値を記録。
食欲は落ちてはいなくて、
洗い物出さないようにプラカップのうどんや海苔巻きをペロリ。
昼過ぎぐらいから体が楽になってきて
熱を測るとだいたい37.0〜37.3度ぐらい。
2度ほど昼寝をして、ピークを超えた自覚あり。

日曜夜は熟睡したおかげで月曜日は朝から絶好調。
熱も(朝測ったので)35.9度だし、
血圧は前日よりも上下とも30ぐらい下がった😅
喉はまだ痛いが、前日よりはマシ。
何よりも熱が下がってとても楽になった。
あとは喉の痛みが消えるのを待ち、
医師から言われた火曜日までの謹慎で万事解決。

・・・と思っていたが
コロナウイルスの本当の恐ろしさを
月曜(昨日)午後になって思い知ることになる。
ちょいと用事で車から物を出しに外に出た。
体も調子戻ったし、誰とも会わなきゃ大丈夫と考えていた。
ついでに外の空気を吸うため家の周りを歩いてみる。
そのまま家に入ったのだが、なんか変だ。
息がハァハァいってる。
玄関から部屋への距離だけでもうふらついている。
部屋に帰った途端へたり込んでしまった。
なんだ?この体力の無さは。
ちょっと外に出ただけで疲れ切ってしまっている。

用意されていたお昼を食べ(ナンとレトルトカレー。これもペロリ)
熱が無いのでシャワーを浴びることにする。
ささっとシャンプー&シャワー。
上がっていつも通り体重計に乗ってみて目を疑った。
この4日間で3kg近く減っている。
食べてるし、静かにしていて動いてないし、何でだろう。
・・・と、洗面所の鏡を見てまたびっくり。
そこには「老人」がいた。
「孫がいるからジジイ」とか「前期高齢者」とか
おちゃらけた表現ではなくて
どこからどう見ても「老人」だった。

新型コロナウイルスの恐ろしさは
もちろん高熱や肺炎や味覚障害や後遺症もだけど
それらが軽く済んだ気がしていても
知らないうちに体力が恐ろしく無くなっていたり、体、肌のハリなどが奪われていることも大きいと感じた。
その底深さに本当に驚いた。
鏡を見た時なんて、浦島太郎が箱を開けた瞬間のようだった。
「火曜日(今日)まで隔離されればもう大丈夫」
なーんてことは簡単に言えなくなっている。
明日になったら本当に娑婆に復帰できるのだろうか。
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2023-07-01 | 生活の風景


昨夜は、コロナ禍を経て、6年ぶりの高校時代の同期会。
花巻温泉取締役を務める同級生や、
高校時代や大学時代の写真や8mmフィルム動画を編集し
懐かしいムービーにしてくれた同級生などのおかげで、
少人数ながらもとても楽しい会だった。
(写真はそのムービーの一部。
 1年生の頃だけ通った古い校舎で応援団が雪中練習)

金曜日で、参加者も少ないなーと思ってたけど
ワタシの段取りがイマイチだったせいで
たぶんこれ以上人数が多かったら収拾がつかなかった😅
ホントにみんなのおかげ。感謝。
予定外だった二次会を経て、宿泊者だけが和室に集まり三次会。
その部屋に泊まった連中はいい迷惑だけど😁
修学旅行の夜みたいで楽しかったな。

体調も考えて、
ワタシだけひと足お先に部屋に帰って就寝。
その分朝は早く起きられたので、
寝ている同室者の脇をそっと抜けて風呂へ。
ほとんど貸切状態の温泉はとても気持ちよかった。
露天風呂に入って空を見上げたら、なんと大きな虹が。
嬉しいね。
きっと今日もいい日に、今月もいい月になる。
みんな、また次回笑顔で会おう。
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高校同期会を今日開催

2023-06-30 | 生活の風景
四十二の歳祝いの年以来
(同窓会費を集める名目もあり)
およそ3年に1度のペースで同期会を開催してきた。
計画のたびにメールで出欠連絡をもらい
同級生のメーリングリストを作っていたことに加えて
ここ数年はLINEグループも作っているので
開催のお知らせはとても楽になった。
何回かに1度のペースでハガキ案内を出して
さらにメーリングリストやLINE参加者を増やしたい。

で、ちょうど還暦の年に同期会開催の予定だったので
その時はハガキを出して大勢集め、大規模開催にするつもりだった。
恩師も呼んでの計画を最初にしたのが2020年・・・。
コロナ禍で延期が続き、計画し直すこと3度。
ようやく今日の開催にこぎつけてホッとしている。
今回もおっかなびっくりの計画だったので
結局メールやLINEでの連絡のみで大規模開催にはできなかったが、
とりあえず同期会を復活することが一番だったので良かったなと。

高校を卒業して約45年。
私は今も同窓会の役員&同窓会報の編集長として
さまざまな形で母校に関わっているけれど
同級生たちは(教員経験者や母校に入った子を持つ保護者以外は)
なかなか母校の情報に触れることがないだろう。
ということで
今回は私が編集委員長を務めた90周年記念誌も持ち込む予定。
他に90周年記念グッズであるオリジナルブックカバーや
校歌、応援歌が入ったCD、応援団手拭いも。
もちろん購入希望も(学校に代わって)受け付ける。
それにしても、あっという間だったなぁ。

↓高校1年終了後に移転した本館の現校舎。
ここを「新校舎」と呼ぶのは私の前後世代だけだろう😅


周辺には何も(北中すら)ない🤣
今は家々が建ち、店舗などもあってりっぱな「まち」になっている。
400mトラックと野球場とサッカー場、テニスコートがそれぞれあり、
そのほかに校舎裏のサブグラウンドに体育館と格技場。
弓道場も、そして合宿に使える桜雲会館もある。
(桜雲会館は、桜雲台にあった旧校舎の建材を使ってデザインを踏襲)
恵まれた環境だよねぇ。

↓卒業アルバムから。
生徒たちの手書きで校舎に貼り付けたマスコットパネルや
赤、青、黄の各組応援団の手作りオリジナル衣装など
今考えるとすごいよねぇ。
高校生が持つ潜在能力は想像を絶する。


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スイ爺

2023-06-27 | 生活の風景

3月に病院沙汰になって以来
アルコールとニコチンに縁のない人生が始まった。
それと同時に、気づいたら会社を辞めてからのこの9年に
3kgほど体重が増えていることに気付いていて
血圧やコレステロール値を少しでも下げるために減量も始めた。

まずはご飯の量を減らした。
今までの1/3ぐらい。
そして、病院からの食事指導に従って味噌汁やスープ類も日に2度。
塩分、糖分、糖質を意図的に減らすことにしたのだが
根本的になんかもう以前のようにモリモリ食べる気になれない。
ドレッシングも、塩も、醤油も使わなくなった。
目玉焼きも野菜もそのまま、納豆などもタレは使わない。
なんか、食事や味を楽しむというより
体を維持するのに必要なものを摂取しているだけみたいな感じ。
お昼も持参するようになって外食が大幅に減った。
そして「スイ爺」を自称していた外食時のスイーツ類も
外食の機会が減ったせいもあってほとんど食べなくなった。

決定的だったのは
管理栄養士をやっている親戚から勧められたもち米玄米。
香ばしくて歯応えがあり、よく噛むからすぐお腹いっぱいになるし
もち米なので腹持ちが良く、時間経っても空腹にならない。
おかずも主食と一緒によく噛むから食事がゆっくりになった。
以前からのベジタブルファーストも継続している。
夕食後、ちょっとつまんだりしていたいたお菓子類もやめた。
(というか食べようという気にならない)
たまにちょこちょこ飲んでいたアルコールも無くなった。

その結果、
3月からの3カ月間で4kgほど体重が落ちた。
目標は高校卒業時の体重(会社退職時の体重)だったが
今は高校2〜3年ごろの体重だ。
無理して、我慢して行った減量ならば「もういいか」になるが
どうやらこの食生活が習慣化してしまったらしく
外食しても量が食べられなくなった。
どんなおいしいものよりも、もち米玄米が食べたい(笑)
体重とともに、だいぶ体力も落ちて
時々立ちくらみみたいにふらつくようになってきたから
少しずつ体も動かしながら・・・ね。

ってことで、
ここまで来たからたまにはスイ爺もそろそろいいでしょ?😁
上の写真は茶寮かだんさんのストロベリージェラート。
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