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花巻温泉に花見に行った時の母方の祖父母と私。
別な写真で母がおぶった12月生まれの妹がまだ乳児だから
おそらくこれは昭和38年の春。
私は2歳と8ヶ月だったことになる。
現在92歳の母は当時31歳。
ともに明治生まれの祖父は56歳で祖母は55歳かな?
今の私よりも若い。
紫波町彦部に生まれ、小学校の先生だった祖父は
笹間や湯口、東和町小山田、石鳥谷町大瀬川などあちこち転勤。
家は当時の花巻町営住宅の払い下げを受けたのだそうだ。
大正時代〜昭和初期建築と思われるその家で
母の兄弟6人はみんな育ったという。
私も、両親2人とも教員だったので祖父母の家にお世話になった。
保育園や幼稚園から祖父母の家に帰り、
小学校時代も自宅が近かったのでしょっちゅう遊びに行っていた。
母の兄弟は盛岡や首都圏在住だったり、転勤族だったりで
花巻に住んでいたのは伯母の家と我が家だけだったし
その中で男の子は私だけだったので
特に祖父にはとても可愛がってもらった。
マルカンでごちそうになったり、ぶどう園までサイクリングしたり。
祖父母の家では、祖母の和裁用の裁断板を滑り台にしたり
畑の片隅で飼っていた鶏に餌を与えたりして遊んだ。
どちらも90代で祖父母が亡くなったあと
その家には母の姉である伯母がひとりで住んだ。
早くに伯父を亡くし、娘たちも家を離れてひとり暮らしだったが、
畑で作った野菜などを持ってよく我が家にやってきた。
その伯母が施設に入ってからは空き家になっていたこの家。
コロナ禍を経て、伯母の三回忌に合わせた納骨に
みんなが集まり、この家のこともさまざま手続きがあった由。
家の中の片付けも行い、
あの頃の祖父母が住んだ痕跡もたぶん無くなるだろう。
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最後は集まったみんなで
「さくらんぼの木があった」「桑の実も食べたね」
「風呂は檜の風呂でおじいちゃんは熱い湯に入っていた」
「その前は五右衛門風呂で・・・」などなど
思い出話に花が咲き、それぞれ欲しいものを引き取った。
(私は貴重な本類をいただいた)
今のところこの家を壊すのか、維持するのか
売るのか、そのまま持っているのかはわからないけれど
ともあれ思い出の家とともに、
この家での祖父母との思い出とも一旦お別れ。
ありがとうございました。