吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

自然や生きものの「いのち」を画く人々(日本画々家)

2019年03月26日 | Weblog
四季自然の風景画家東山魁夷伯は、海や山の自然や季節によって変わる一木一草のいのちとの一期一会を画いた。人間も小さな生きものや大きな動物も、山や海に生きる動植物も、四季変化する自然の中にあって、一瞬のいのちを生きる。ノーベル文学賞の川端康成の「芸術の極意は、末期の眼にある」となるのだろう。”これが見納めかもしれない”という一瞬にその瞬間の真実の姿が見え、これを描くのかも知れない。


花は散ることによって生命の輝きを示すがゆえに、永遠に咲くいのちなのだろう。人もすべての動植物の”いのち”も同じ。自然に手を加えたり自然を操作したりせず、ただ自然の声に耳を傾け、自然の中にいることだけを望んだ東山魁夷は、自ら光を発せず静かに存在する月の光をして”青の光”とした。清浄と静寂の青色をもって、風景や自然の一員になろうとしたのかも知れない。


自然や生きものの”いのち”を画いた日本画家は多い。江戸時代の奇才伊藤若冲もその一人。若冲の「動植綵絵 郡鶏図」に、生きもののいのちをみる。動植綵絵の貝甲図と小禽図や百犬図および多くの鶏図に、生きもののいのちが躍動する。山岳や渓谷川の自然や人々の生活や動植物を名画にした日本画の天才偉人たちは多いが、ひたすら生きることやいのちとしての自然や草花を画きつづけた女流画家もいる。


その女流画家・堀文子は、自然と生命の美しさや草木や花の一瞬のいのちの美しさを、独特の日本画に探究しつづけた。団や属や派に属さず群れて生きることを避け、”ひとりで生きる”人生を選択した彼女の花や径の四季スケッチは、文字通り自然と生命の美しさのスケッチ画だ。生きる言葉を、絵にスケッチしてくれている。地球とか環境とか言わず、自然や生きものの一瞬のいのちの美しさを大事に共有して暮らしたいものです。

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