因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

studio salt第23回公演 式 三部作 第一話『挙式-山下順平 編-』

2023-10-07 | 舞台
*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら ラゾーナ川崎プラザソル 9日終了(1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24
 今回の会場であるラゾーナ川崎プラザソルを結婚披露宴会場に見立てた公演だ。場内には丸い宴席テーブルが設置され、観客は披露宴の招待客として席に着く。ステージには雛壇があり、根本修幣(堂本修平)がキーボードの生演奏で出迎えてくれる。飲食はさすがにできず、飲み物はペットボトルの水、コース料理のメニューの写真が配られる。コロナ禍にも配慮しながら、なかなか手の込んだ作りだ。

 劇団公式サイトには、公演前から「山下順平の死ぬまで日記」の連載が始まっており、本作の主人公山下順平(浅生礼史)が共に暮らす大切な存在があること、余命告知を受けた日から挙式を決め、準備を始めたこと、仲間たちとの交わりが、山下順平その人による記述として書かれている。ネットの日記に導かれて、本番の披露宴(舞台)へ臨むこととなった。

 観客を披露宴の招待客に見立てる趣向の舞台は一度体験があって、2010年7月のこちらである。小さなところにまでこだわり、工夫を凝らした趣向に驚きつつも居心地が悪く、入り込めなかった記憶がある。今回の山下順平の挙式を体験しながら、十数年前と同じ感覚が蘇ってきた。「見立て」という演出には受け手としての難しさがあり、ペットボトルでの乾杯や拍手は気恥ずかしく、ウェディングケーキ入刀の撮影OKの呼びかけにも行動は起こせなかった。もちろん全てノーリアクションでも構わないのだが、いささか頑なとも思われ、しかし「見立て」のための役割があることは、観客の自分としては終始微妙な居心地であった。

 主人公とその妹の生き方について、かなり特殊な設定ではあるが、「ありうる話だ」と思えるのは、この数年で急増した「多様性」の情報による認識の変容であろう。人生100年時代と言われながら、50代半ばで余命宣告されることも現実にあり得ることだ。だがしかし…と、違和感や困惑がどうしても否めない。自分に「見立て」への苦手意識があるのは確かだが、スタジオソルトの経験値を以てすれば、舞台と客席を分けた、通常の形での上演も十分可能ではないだろうか。
 
 座長の浅生礼史は当日リーフレット掲載の「ごあいさつ」において、この20年は、「芝居で名をあげることは出来ないんだと納得するのに必要な時間だったのかもしれない」と振り返っている。観客としては2006年の出会いから17年が経過し、ごく初期の舞台を見逃したことは残念だが、自分の観客としての歩みと重なる月日である。観はじめたころを思い起こすと、劇団員の顔ぶれも大きく変わった。浅生が「芝居を続けさせてやれず申し訳ない」と悔やみ、「これからの10年は、観に来てくださるお客様のためと、昔の仲間がまた芝居を始められる場所をなくさぬように」という控えめだが堅固な決意、そして「20年本当にありがとうございました。あと10年 あと10年お付き合いください」というしめくくりの言葉に胸が熱くなる。

 一方、作・演出の椎名泉水は家族とのふたつの思い出が淡々と記している。いずれも芝居の題材にするには難しいと思われるが、椎名は後悔や残念な気持ち、そしておそらく悲しみまでもしっかりと心に刻んでいるのだろう。格好の題材ではないかもしれないが、ずっと心から消えず、この曖昧で微妙な心のありようを忘れないことが、劇作家椎名泉水の椎名の優れた資質、個性であり、スタジオソルトの舞台の魅力につながるのではないだろうか。

 観客としての自分は「あと10年お付き合いください」という言葉に応えられる者でありたい。自分もまずはあと10年がんばる。
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