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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

青年団若手自主企画vol.42『昏睡』

2009-08-27 | 舞台
*永山智行(こふく劇場)作 神里雄大(岡崎藝術座)演出 公式サイトはこちら アトリエ春風舎 26日で終了  この作品は数年前、にしすがも創造舎での公演をみたことがある。7つのエピソードが連なる物語を数人の演出家が2つずつ担当する連作形式だっただろうか?天井も奥行きも客席もガランと広い劇場で、どこに焦点を合わせてよいのかわからなかった記憶がある。  今回は劇場の横幅(この言い方でよいのだろうか?)こそ狭いものの、舞台の奥行き やそのまた奥に、底知れぬ闇や空間が潜んでいるかのようなアトリエ春風舎での上演だ。  公演チラシを入手できなかったので、webサイトからプリントアウトして読んでいる。たぶん同じものだろう。劇作家、演出家、出演俳優山内健司、兵藤公美の挨拶文は、ひとつの作品を作るそれぞれの立場からの思いが伝わってきて、興味を搔きたてるが、みるうちに自分が抱いていた気持ちと、目の前で行われていることの方向性が合わないように感じた。  どういうことを伝えたいのだろうか?改めて書くと身も蓋もない表現になるが、それがよくわからなかったのである。作り手の表現方法が自由であることと同じように、みる側がどんな見方をしてもいいと思う。しかしどこをどうみればいいのか、山内健司と兵藤公美の男女はよかったと思うが、天井の照明、飛行機のアナウンスのような効果音、舞台を汚すこと、カーテンコールのあとで、女優の一言があることなど、戸惑う場面が多かった。

 作り方によって変化する振り幅が、こちらが考えるより遥かに広く、深い作品なのだろうと思う。にしすがも公演のような方法も、今回の方法もどちらもアリで、さらに違う作り方も成立すると思われる。終演後の気持ちの定まらない状態で、駅までの暗い道を歩く。不完全燃焼だったわけだが、それをくよくよと思い悩むのはやめようと思った。たぶん『昏睡』にはまた会えるだろう。『昏睡』そのものでなくても、今夜の舞台に触発され、また疑問に感じた何かをその人なりの方法で描く作品が生れ出るのではないか。そんな予感がする。
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