因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

やなぎみわ演劇プロジェクトvol.2『1924 海戦』

2011-11-05 | 舞台

*やなぎみわ 原案・演出・舞台美術 あごうさとし 脚本 公演のツイッターはこちら 神奈川芸術劇場大スタジオ 6日まで
 やなぎみわは日本を代表する現代美術作家であるが、2010年のフェスティバル/トーキョーにおいて、おばあちゃんメイドカフェ「カフェ・ロッテンマイヤー」をプロデュースし、演劇と美術の枠を超えた創作活動を進めている。やなぎが挑んだのは、1924年、関東大震災からわずか10か月後に初公演を行った築地小劇場だ。小山内薫と土方与志を主軸にした当時の人々の芸術運動を、現代の視点から描く舞台である。

 モダンガール姿の案内嬢や資生堂のポスターが展示されて不思議な雰囲気。開場は上演の15分前で、なかに入ると水兵すがたの俳優たちが台詞や演技の練習をしており、その演技エリアを通って客席につく。舞台はいくつかのパーツに分かれた作りで、モガの案内嬢の説明によると上手と中央、下手とでは違う芝居の稽古をしているという。
 はじまろうとしているのはドイツのラインハルト・ゲーリングの『海戦』で、第一次世界大戦のユトラント沖の戦闘をテーマにした表現主義戯曲であるが、神奈川芸術劇場大スタジオの舞台機構の先進技術がいかに優れているか等々の説明はやや舞台台詞じみており、モガの案内嬢のうち少なくとも2名は、劇場スタッフの姿を借りた役者らしい。
(あとで公演チラシやパンフレットを読むと、「モダンなコスチュームの『案内嬢』をシュールな狂言回しに」と記載があった)
 一筋縄ではいかない、これまでみたこともないような舞台がはじまろうとしている。

  わずか5ステージの公演であるが、開幕前には「築地小劇場と1924年のアヴァンギャルド」はじめ、当時のファッションや都市文化のレクチャーや、本公演の舞台美術を製作するワークショップも行われており、さまざまな枠や既成概念を越えた意欲的な試みであることがわかる。

 冒頭、土方与志が案内嬢のみちびきで浅草凌雲閣のエレベーターに乗る場面がおもしろい。
「○階、歌舞伎のフロアでございます」「○階、フランス古典劇のフロアでございます」といった具合だ。地下フロアへの案内はなかったが、あったとすれば、そこは「アングラ演劇のフロア」になるのかしら。いや冗談です。

 このエレベーターの場面はそのあと何度かあって、「自分はどんな演技をすればよいのか」と問いかける俳優に、ただ「上へまいります」と繰り返すだけのアナウンスは象徴的である。

 小山内薫がツイッターをしていたり、土方とスカイプで話したり、やなぎみわ独自の視点や手法が随所に現れているにも関わらず、それがあざとくみえないのは不思議である。
 メタ演劇、劇中劇という括りに収まらず、やなぎみわがしようとしていることをじゅうぶん理解し、把握したとはいいがたいが、演劇史や演劇論において知識としてあった小山内や土方の生々しい息遣いが伝わってくる舞台であった。そう何度も体験できるものではないだろう。

 9月になくなった演劇評論家の菅井幸雄先生がこの舞台をご覧になったら、どんな感想を持たれるだろうか。学生時代、築地小劇場はじめ日本近代演劇史については、ちゃんと先生の講義で聴きましたよね、自分!
 菅井先生の『演劇創造の系譜』(青木書店)を久しぶりに取り出してみた。あとがきに「いくたの困難な条件をかかえながら、演劇芸術の真の開花をめざして、苦闘しつつ倒れた数多くの先覚者にも、後学の一人として、謝意を捧げたい」とある。
 やなぎみわの『1924 海戦』は、当時の人々、演劇芸術そのものへ心から敬意を捧げながら、鋭く問いかけ、答を探そうとするものである。後学のひとりがやがて先覚者となる予感に満ちた2時間であった。

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