因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ミナモザvol.8『0.5+0.7≠1.0+0.2』

2007-10-29 | インポート

*瀬戸山美咲作・演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 公演は28日で終了
 正直なところ、とても迷い悩んでいる。今夜みた舞台の印象をどう記せばいいのか。

 雨の夜、深い森と湖の中にある美術館でパーティが開かれた。創立者である画家は30年前にある事件を起こして亡くなっている。「招待状をもらったから」という理由だけでやってきた少女(鈴木オルガ/10×50KINGDOM)を中心に、画家の姪だという女性(佐藤友美/シンクロ少女)、学芸員(穂積基紀)、見るからに怪しげな中年男性(本井博之/コマツ企画)に、もうひとり黒いドレスの若い女性(木村桐子)がからむ。

 新作は「幼児性愛」についての話であるらしいことを事前に知っていたので、美少女の絵がいくつも展示されていることや、実年齢をいくつくらいに設定したのかわからないが、見るからに頼りなさげな少女が登場することは、予想の範囲である。ただ始まってわりあい早い場面だと記憶するが、中年男性の口から「この画家はロリコンだったんだ」という台詞が実にあっさりと出ることや、終盤「幼児性愛者」という台詞が頻繁に出てくるところが気になった。「ロリコン」というと、何か一刀両断に異常であることを決めつける(しかも言う方はいささかギャグめいて)感じがするし、「幼児性愛者」という言葉には、これまた想像力の働かせようがない。そのものズバリの言葉を出すことが、何だかもったいないと思うのである。

 今回の題名は「れいてんななたすれいてんごはいってんぜろたすれいてんににあらず」と読む。チラシやHPなどに掲載された題名は、見た目も読み方にもちょっとびっくりさせられるし、この中にいったいどんな意味や謎が隠されているのか、どんな舞台なのか観客の想像力と期待を掻き立てる。題名の意味や、そこに込められた作者の思いは劇中次第に明らかにされ、予想がつく部分と「そういうことだったのか!」と背中がぞくぞくするような感覚も味わった。学芸員が黒ドレスの女性を相手に、コーヒーにミルクを入れてみせながらそのことを説明する場面に作者の力量が示されている。

 自分にとって本作は幼児性愛の話であるというより、人が人を受け入れ、理解することは可能であるかということの問いかけだと理解した。ひとりでは生きていけない。誰に教えられたわけでもないのに、人は誰かを求めてしまう。相手も同じように自分を求めてくれればいいが、うまくいかないことも多い。聖書には「求めなさい。そうすれば与えられる」と記されているが、巷では「求めない」ことを説いた本が注目を集めている。前者は神に対して素直に求めよということであり、後者は人間の相手に対して…ということだと思うのだが、人が愛ゆえに求めてやまないのに、与えられないことに苦しむのは永遠の課題なのだろう。

 本作の場合、それぞれの登場人物が物語のどの部分をどう受け持ち、他の人物とどのように絡ませていくかは、非常に難しいと思う。俳優の資質とのバランスも微妙である。中年男性はまわりに比べると達者すぎるように見えてしまうし、学芸員と画家の姪はもう少し活かす方法もあったのではないか。わけのわからないパーティにたったひとりで顔を出す女の子というのもいささか不自然で、ぜんたいをミステリー仕立てにするにせよ、物語の入り口の部分に、もう少し普通の意味でのリアリティを持たせることも必要であろう。何より、敢えて「幼児性愛」という特殊なキワモノを持ってこなくても、充分に物語として成立させる劇作家としての力量が、瀬戸山美咲にはあるのではないか。

 どうしてもミナモザには要求することが多くなってしまう(苦笑)。しかし自分には確信がある。もっと繊細でしかも大胆で、多くの人の心を揺り動かし、劇場に来る前と帰り道では周囲の風景が変ってみえるような静かな衝撃を与える舞台がきっと作り出されることを。

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