因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

横濱リーディングコレクション#0 福田恆存を読む!

2006-02-15 | 舞台

*『わが母とはたれぞ』 *福田恆存作 椎名泉水演出 横浜相鉄本多劇場
 質の高い戯曲を選んで気鋭の演出家と共同制作し、リーディング形式で連続上演する試み。戯曲との出会いの場をプロデュースするという刺激的な企画である。
 椎名泉水は横浜を拠点として活動する劇団スタジオソルトの作・演出家で、自分のホン以外の演出はこれが初めてとのこと。息子夫婦と息子の母親との会話が中心の1時間足らずの作品である。
 舞台前面に白い小石が敷きつめられ、高さの違う黒い箱がいくつか置かれている。その後ろにはいろいろな大きさの板が何枚も。俳優は白っぽいグレーの作務衣風のそろいの衣装を着て、手には台本を持っているが、劇中それに目を落として「読む」ことはほとんどなかった。かといって人物同士が向き合って話すこともなく、終始客席をみて台詞を言う。そして時折後ろの板に白いペンで台詞を書く。この文字の視覚的効果と俳優の動作がとてもおもしろく、言葉だけがにわかに客席に迫ってくるような印象があった。
 一度聞いただけでは意味がわからない言葉(例:唐三彩 父母に孝)が文字で書かれてようやく「ああ、そういうことか」と理解できるものもあり、特に深い意味はないのだろうが、その言葉を話した人物の存在が際立つもの、たとえば姑が嫁に向かって言う「友ちゃん、お風呂みてきておくれ」、逆に嫁が姑のことを「どうして男に好かれるんでせう」と評した言葉など、板に書かれた文字が、まるで生き物のように舞台に息づいているのを感じた。
 戯曲は、言葉は、生き物である。生きて動いて観客を捉え、劇の世界にいざなう。

 「リーディング」をどう定義するかはむずかしいし、今回の公演は厳密に言うとリーディングとは言えないかもしれないが、
ひとつの戯曲を演出家がどう捉えているか、その作品がどんな手触りであるかを観客に伝える点では非常に魅力的なステージになっていたと思う。

 他にヒンドゥー五千回(彼が構成・演出を担当する劇団の名前)の扇田拓也演出『堅塁奪取』とshelf主宰の矢野靖人演出『龍を撫でた男』の上演があり、前者はほとんど二人芝居である作品を20人の俳優が登場する舞台にしてしまったというし、後者は確信犯的に作品を誤読し、オリジナルの戯曲とは「全然違う作品になってます」(公演リーフレットより)のだそう。どんな舞台なのか、まったく想像できない。一本しかみられなかったのがほんとうに残念だ。
 これまで足の向きにくかった横浜の劇場にもっと通いたいし、三人の演出家がそれぞれのホームグラウンドで作る舞台にも是非行こうと思う。
 収穫の多い一夜であった。横浜の町にこれまでとは違った空気を感じ取れるようになった。
 

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