因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

朱の会 小公演Vol.1

2021-12-26 | 舞台
*公式サイトはこちら1,2,2',3)阿佐谷ワークショップ 25、26日各1回公演
 年に一度の朗読公演に新しい企画「小公演」が加わった。阿佐谷駅から徒歩数分の小さなビルの2階にある会場は、みるみる満席に。

☆高井康行朗読 森下典子作『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』(新潮文庫)より「まえがき」・・・初版は著者が大学生のときから茶道をはじめて26年目の平成14年(2002年)、その6年後に文庫化されたエッセイ集である。樹木希林と黒木華共演の映画にもなった。文庫版の解説は、先日亡くなった柳家小三治というからすごい。小三治師匠はご自分の独演会で本作を取り上げたことがあるそうで、「つぶやきでなく声に出して読んでみてください。ちゃんと間を取って心を込めて読んでみて下さい」、「どうか私と同様『まえがき』全文をゆっくり読んでください」等々、本作にぞっこん惚れ込んでおられることが生き生きと伝わってくる。超一流の噺家が、黙読ではなく、朗読してみてほしいと語るほどの魅力ある作品なのだ。

 15編の物語の開幕を告げる「まえがき」は、作者が如何にして「お茶」の世界に足を踏み入れたか、なぜ続けているのかなど、さらりとした筆致にも関わらず、この先を読まずにはいられなくする不思議な吸引力がある。高井康行が朗読作品として、「まえがき」を選んだ理由と同時に、難しさもここにあると思われた。いわゆる文学作品の物語性ではなく、ひとりの女性がお茶を通して、世界の見方が変容する過程を、朗読作品としてどう立ち上げるか。高井は朱の会公演で芥川龍之介の『蜜柑』を二度朗読しており、硬質な作品から控えめに抒情を表現し、劇世界として構築する力を備えた俳優である。エッセイを朗読すること、しかも女性の作品を取り上げるのは、こちらが想像するより難しい面が多々あると思われるが、これを機にもっとさまざまな分野の作品の朗読を聴いてみたい。

☆神由紀子朗読 谷崎潤一郎作『刺青』・・・「いれずみ」ではなく「しせい」と読む。強く美しく鋭く、そして残酷な言葉が次々に咲いては散ってゆくような作品である。神由紀子は地の文は端正に、人物の台詞は老若男女を巧みに(しかし自然に)語り分け、聴くものを作品の世界にぐいぐいと引き込む。わたしは自分で本を読むとき、「この役はあの俳優に」などと妄想するのが好きなのだが、神の朗読を聴いていると、個々の俳優の顔やイメージがいつの間にか消え、神の声と語るすがただけで存分にその世界を味わっていることに気づく。

☆玉木文子一人芝居 小林四十作・演出『Repentir』・・・この公演のために書き下ろされた一人芝居である。高齢の母親が亡くなり、その娘三人が久しぶりに顔を合わせた。玉木は次女役である。母の亡骸を前に(ステージには布団が敷かれた)、通夜や葬儀の段取り、姉妹の確執などが時にあけすけに、あるいはしんみりと描かれる。一種の「あるある」の物語だ。登場するのは玉木ひとりだけなのに、三姉妹のやりとりが実に自然で、泣いてばかりいるカズコ姉さん、介護を一身に引き受けていた妹のヒロちゃんが、月並みな表現になってしまうが、無理なく目に浮かぶ。昨年放送のテレビドラマ『その女、ジルバ』の影響であろう、カズコ姉さんは中田喜子、ヒロちゃんは池脇千鶴のイメージである。母親の荒れた踵のエピソードは、向田邦子の『阿修羅のごとく』の本歌取りか。

☆佐藤昇朗読 森鴎外作『高瀬舟』・・・わたしは高校一年生の現代国語の教科書で本作を知ったのだが、記憶に残っているのは、教えた先生が役人の庄兵衛について、「もう女房に子供を四人生ませている」の一節を、「『生ませている』んだからね」と念を押し、しかし深い意味まで説明されなかったことである。まったく、妙なところだけ覚えているものだ。

 人間は何のために生きているのか、苦しむために生まれてきたのだろうかと、答のでない問いを突き付けられる。登場人物は罪人の喜助と役人の庄兵衛のふたりだけだが、そこから醸し出されるそれぞれの人生行路の広がりと深さに圧倒される。これを読むには、技術はもちろん大事だが、丸腰で原作を受け入れる誠実な姿勢が必要ではないだろうか。佐藤昇の精魂込めた語りに客席の空気は熱く盛り上がり、そして終盤に進むに従って鎮まってゆく。今日の衣裳は黒のタキシードであったが、もしつぎの機会があれば、ぜひ和服で語っていただきたい。さらに欲を言えば重苦しい話であるが、敢えてもう少しさらりと読むことも可能ではないだろうか。

 本公演と同じく今回も、物語の傍らで控えめに佇んでいるような余田崇徳の音楽がステージぜんたいを支え、良き雰囲気を作り上げていた。慌ただしい年の瀬に、ほっと息のつける貴重なひととき。違う季節であれば、また新鮮な味わいがあるのではないかと、早くも次回を期待している。


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