因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

パラドックス定数 第38項『九回裏、二死満塁。』

2017-06-16 | 舞台

*野木萌葱作・演出 公式サイトはこちら 中野/テレプリコール 18日で終了 (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23
 実際に起きた事件や事象をベースに、独自の視点と切り口で舞台を構築する野木萌葱だが、今回はおそらくまったくのオリジナルと思われる。高校野球を題材に、現在と過去、それぞれの思い出の食い違いの衝撃や、取り戻せない時間への哀惜、それでも生きていく男たちのすがたを描く95分の物語である。
 テレプシコールの高い天井を活かし、舞台に野球場の外野席を作った。対する客席が内野席の見立てか。死者と生者、過去と現在が交錯し、ときにはその境目がわからなくなる場面もある。高校時代と40代を目前にした現在とを、俳優は野球のユニフォームとスーツを変えるだけで演じ分け、演じ継ぐ。不自然や無理がまったくないとは言えないが、そこが演劇ならではの旨みであろう。

 部員の少ない村立高校の野球部が地方予選を勝ち抜き、夏の甲子園に出場するも、一回戦で大敗。その後ピッチャーが事故で亡くなったことが21年後の現在に至るまで、部員たちの心に暗い影を落としている。なぜピッチャーは死んだのか。監督もすでにこの世の人ではなく、真実は不明のままである。この謎がどう解かれていくかが本作の重要な鍵であり、そこに向かって物語は進んでいく。サスペンスの要素もあり、痛ましい真実を予感させて劇場の緊張が高まってゆく。

 だが、その答が地方予選の決勝が八百長試合であったという点にどうしても躓くのである。プロ野球ならまだしも、高校野球にそのようなことは絶対にあり得ないと断言はできないが、相手チームの選手、監督が応じることがあるとは想像しにくい。監督なら誰しも、教え子である選手を晴れ舞台に立たせてやりたいと願うだろう。むろん、重要なことを敢えて言わせない、描かない方法もあるのだが、周囲の大人たちをも巻き込んで八百長試合のアクションに至るまでの監督の葛藤をもっと知りたいのである。また死者が語ること、死者と生者がコミュニケーションを取って互いの気持ちを語り合うのは一種の禁じ手でもあり、何を見せて何を見せないか、観客が何を見たいか、知りたいかという点にずれが感じられたのは残念であった。

 それでも選手たちは野球歴やポジションに応じた見事な描き分けがなされており、特に終幕、高校1年生の彼らがはじめて野球部の練習に参加した日のエピソードで、少年リーグからキャッチャー一筋のキャプテン、自称不動の四番打者、デッドボール王子、野球未経験だが50m5秒8の俊足、みんなで甲子園に行きたいというピッチャー等々、それまで彼らが交わしたやりとり、衝撃や怒り、悲しみなどがここに注がれていると思うと、希望に満ちた彼らのすがたが微笑ましくもあり、痛ましくもあるのである。 

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