因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場『マニラ瑞穂記』

2014-04-07 | 舞台

*秋元松代作 栗山民也演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 20日まで
 本作の予備知識はゼロだと思っていたら、1994年夏に同じ秋元松代の『村岡伊平次伝』をみていたのだった。実在の人物である村岡伊平次を本名のまま主人公に据えた評伝劇で、今回の『マニラ瑞穂記』では千葉哲也演じる秋岡伝次郎がその人である。『村岡~』の印象がいまひとつだったこともあり、『マニラ~』に対して多少引き気味で劇場に赴いたのだが、これがまさにずっしり、重量級の手ごたえであった。見のがさなくてほんとうによかった。

 舞台は1898年(明治31年)、マニラの日本領事館である。スペインから独立せんとするフィリピンの運動を支持する日本人志士や、貧困と外貨獲得の国策のためにやってきた「からゆきさん」の女性たちが、内戦で混乱する町から領事館に逃げ込んでいる。そこに秋岡伝次郎が現れた。女衒という仕事ながら純粋な愛国精神を持った男だ。秋岡は志士たちの情熱にほだされ、彼らのために「マニラ瑞穂館」なる家をつくると宣言する。

 開幕から数日だが、すでにいくつもの劇評サイトやツイッターなどに観劇後の熱いメッセージが寄せられている。初演から50年経てもなお、現在の俳優によって作者の情熱はいよいよ舞台に燃え盛り、それが客席に伝わったことの証左であろう。

 四方囲み舞台の効果や、秋岡役の千葉哲也が太っ腹の破天荒とみせて、小心で傷つきやすい九州男児の造形、領事役の山西惇が江戸っ子のべらんめえ調を飛ばしながら、女衒の秋岡と相通じるところをみせてぞくぞくするほどおもしろく、目が離せない。
 陸軍中尉を演じる古河耕史は、本心をなかなかみせないようで、女たちにあっさりと人間性を見抜かれていたりと、立ち位置といい造形といいむずかしい役柄を心憎いまでに演じており、しかも技巧が前面に出る臭みや嫌みがまったくない。このところめきめきと頭角を現している古河耕史、これは当たり役ではなかろうか。
 千葉、山西のふたりの兄貴分と古河や娼婦を演じた髙島レイはじめ新国立劇場研修所の卒業生、そして口の聞けない老婆を演じた稲川美代子も忘れてはならないだろう。

 終演後のシアタートークにおいて、出演者(千葉、山西、古河、髙島)が異口同音に、「最初に台本を読んだときはよくわからなかったが、稽古が進むにつれておもしろくなってきた」と発言、それと呼応するように、当劇場芸術監督の宮田慶子が、「秋元戯曲は手ごわい。いたるところにさまざまな仕掛けがあって、それをからだに落とし込むことで舞台が変わっていく」と指摘していた。すぐれた戯曲というのは、決してわかりやすいものではなく、むしろごつごつとやっかいなところが多いのではないだろうか。しかし読み手をつかんで離さない何かがあって、それが結実したのが今日の舞台だったのだ。

 敗戦後の自失のなか、何を書けばよいのかと悩む秋元に、師である三好十郎は「あなたがこれだけは、ぜひともいいたい、それをいわねばあなたの精神の大切な部分が亡びてしまうと思うことが、一つはあるでしょう。それを分かりやすく、誰か一人の人に話しかける気持で書けばよいのです」と言ったそうだ(公演パンフレット記載)。

 帰宅後、この言葉を何度も読みかえす。ぜひともいいたい、これをいわねばわたしの精神の大切な部分が亡びてしまう。秋元はそんな思いで、『マニラ瑞穂記』の台詞のひとつひとつを書いた。登場人物ひとりとして捨て役がなく、記号的な人物がいない。劇作家が思いをこめて書いた台詞を、俳優たちが力を尽くして発する。受けとめないわけにはいかない。

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