ようやく日本でも憲法改正の動きが出てきた。ここで忘れてはならないのは、現憲法に関して、共和制へ向かうプロセスとしての解釈があることだ。それを裏付けているのは、前文における「主権は国民に属する」や第一条の「日本国民の総意に基ずく」なのである。江藤淳は「VOICE」平成3年10月号に掲載された、大原康男との対談のなかで、その記述を利用して一部のマスコミが皇室解体を目論んでいる、と危惧の念を表明していた。国の根幹にかかわるのは、立憲君主制であり続けるか、それとも共和制に向かうのかの議論である。江藤は現憲法においても、第二条において「皇位は、世襲のものであって」と規定していることで、「立憲君主制を確定している条項と読まざるを得ない」と述べている。しかし、少しでも瑕疵があるのであれば、そこから付け込まれるのであり、自主憲法制定においては、その点をはっきりすべきだろう。現憲法が占領軍によってつくられようとしていたとき、高木八尺(やさか)が外務省に提出した「天皇制に就いて」との覚書を、江藤は高く評価する。「日本は『家族主義、温情主義の』の国家である。だから主権を『君』が独占する、『民』が奪還するというような二元論は成立しがたい。『民』は輔翼し奉り、『君』はその上にあってこれを知らしめ給うものである」。この機微に江藤はこだわったのである。単なる情勢論ではなく、それをより明確にすることが、何よりも優先されるべきだろう。
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