草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

12月8日開戦時の吉井勇や伊東静雄の決死の覚悟に学ぶ!

2012年11月11日 | 思想家

 情勢論ではなく、真の保守派は一つになるべきだろう。先の開戦の時にも、天皇陛下の大詔を聞いて、日本人は決死の覚悟を固めたのではなかったか。最終的には敗北したとしても、民族の魂はどこまでも清らかであった。戦後世代の私であっても、当時の日本を代表する歌人や詩人の悲痛な決意には、ただただ熱いものがこみあげてならない。とくに、吉井勇の「大詔聴きつつ思ふいまぞわれら大君のために死ぬべかりけり」の歌や、「昭和16年12月8日/何といふ日であつたらう/清しさのおもひ極まり/宮城を遙拝すれば/われら盡く/誰か涙をとどめ得たらう」(「大詔」)といった伊東静雄の詩などは、日本的情念の素朴な発露であった。心の内部は不安が渦巻いていただろうに。それでも無私の心で、大君に一切を捧げようとしたのである。もう一度私たちは、あのときのことを思い起こすべきだろう。今日本は瀕死の状態にある。福島原発の事故は未だ収束せず、おびただしい数の人々が危険な地帯に放置されている。政治は漂流を続けたままで、サヨク政権が居座っている。近隣の諸国からは侮られ、かけがえのない領土が奪われようとしている。もはや座して死を待つことはできない。渾身の力をふりしぼって、日本の国柄を維持するために、今こそ立ち上がるべきだろう。危機に直面して身を挺する。それが古からの民族のならいであり、清らかな魂が目覚めれば、祖国日本は救われるのである。


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「国境の内側で立ち止まる」ことを訴えた憂国忌趣意書!

2012年11月11日 | 思想家

 新自由主義を前面に打ち出す日本維新の会やみんなの党が、どうして日本のためになるのだろう。それよりも前に、祖国を再建すべきであり、国家として身構えるのが先ではなかろうか。今年も三島由紀夫が自決した11月25日がめぐってくる。第一回の憂国忌に私は参加しているが、それに先だって配られた憂国忌趣意書の文面の一部が、今も思い出されてならない。三島のよき理解者であった林房雄が執筆したもので、「我々は人類を愛し、世界の危機を憂うる。ただし、この危機に対処するためには、諸国民はひとまず国境の内側で立ち止まらなければならぬ。世界と人類は今日ではまだ具体として存在せず、未来に属する概念であり理想である」と述べるとともに、「この捨て身と献身は、日本の誇るべき道統である」とまで絶賛したのだった。あれから40年以上の歳月が経過してしまった。しかし、その趣意書に盛り込まれた精神は、未だに色褪せてはいないし、かえって身につまされる状況になっている。三島が危惧していたように、憲法改正を先送りしたことで、政治は欺瞞と策略の修羅場になってしまい、道義は見失われている。いくら国民に嘘を吐いても、平然として政治家は居直っている。さらに、中共や韓国などからは侮られ、日本は侵略者の前になすすべもない。「国境の内側に立ち止まらなければならぬ」との言葉を、もう一度日本人は思い起こすべきだろう。


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