草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

しぐれの音を聞きながら日本人の情緒を説いた岡潔を想う!

2012年11月08日 | 思想家

 かつて岡潔という数学者がいた。大学生の頃に一度だけ講演を聞いたことがある。話しの内容は、人類の起源から説き起こし、それがどのように広がっていったかを論じていた。時間を過ぎても壇上から降りようとはせず、大声を張り上げて主催者を困らせていたのが忘れられない。確か池袋の豊島公会堂だった気がする。もう40年近く前のことだが、なぜか私の脳裏にはその光景が焼き付いている。岡潔の本で何度も読み返したくなるのは「日本的情緒」という一文である。実際に分かったかどうかよりも、私なりに理解できたからだ。岡潔は「このくにで善行といえば少しも打算を伴わない行為のことである」と断言し、例として挙げたのは橘姫命や楠正行らであった。ちゅうちょなく荒海に飛び込んだり、四条畷の花と散ったのを讃えて、「私たちはこういった先人たちの行為をこのうえもなく美しいとみているのである」と書いたのである。そして、岡潔は「くにの歴史の緒が切れると、それにつらぬかれて輝いていたこういった宝玉がばらばらに散り失せてしまうだろう」と嘆いていたのである。今の世の中のように、欲だけの人間が横行しているのを見るにつけ、それは達見ではなかろうか。私たち日本人は大事なものを忘れてしまったのではないか。会津盆地の一角で、しぐれ降る音を聞きながら『春宵十話』を読んでいると、日本人であれば「ともになつかしむことができる共通のいにしえを持つという強い心のつながり」にこだわった岡潔のことが思い出されてならない。


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小人である田中真紀子文科相の二転三転の弁明を嗤う!

2012年11月08日 | 政局

 人寄せパンダにしたかったのだろうが、またもやあてがはずれたのが野田佳彦首相である。しかし、田中文科相の一連の発言は、あまりにも常軌に逸している。公の場で3大学の認可を不許可にしておきながら、今度は「現時点では不許可は行っていない、役人が間違った説明をした」と居直る始末である。自分がやっておきながら、役人のせいにするのだから、これまた話にならない。田中文科相の暴走について、野田首相自身がゴーサインを出していたともいわれ、官邸機能事態が迷走していることも明らかになった。さらに、田中文科相は今回の騒ぎで「逆に宣伝になって、4、5年間はブームになるかもしれない」とうそぶくのだから、どうかしている。田中文科相と橋下徹大阪市長を持ち上げてきたのは、テレビのワイドショーである。刺激的なコメントをしてくれるので、使い勝手がよかったのだろう。ところが一旦暴走すると歯止めがきかないのだから、日本中が振り回されることになるのだ。大変なお騒がせをしたわけだから、更迭されてあたりまえだし、野田首相の任命責任が問われるのも、当然の成り行きだろう。『論語』に「小人の過(あやま)つや、必ず文(かざ)る」という言葉がある。小人は失敗をしでかすと、何かと理由を付けて誤魔化そうとする。君子とは違う行状を揶揄したのである。田中文科相はまさしく小人の典型ではなかろうか。そんな政治家しかいないのが民主党なのだろうが、あまりにも酷過ぎる。


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