かつて岡潔という数学者がいた。大学生の頃に一度だけ講演を聞いたことがある。話しの内容は、人類の起源から説き起こし、それがどのように広がっていったかを論じていた。時間を過ぎても壇上から降りようとはせず、大声を張り上げて主催者を困らせていたのが忘れられない。確か池袋の豊島公会堂だった気がする。もう40年近く前のことだが、なぜか私の脳裏にはその光景が焼き付いている。岡潔の本で何度も読み返したくなるのは「日本的情緒」という一文である。実際に分かったかどうかよりも、私なりに理解できたからだ。岡潔は「このくにで善行といえば少しも打算を伴わない行為のことである」と断言し、例として挙げたのは橘姫命や楠正行らであった。ちゅうちょなく荒海に飛び込んだり、四条畷の花と散ったのを讃えて、「私たちはこういった先人たちの行為をこのうえもなく美しいとみているのである」と書いたのである。そして、岡潔は「くにの歴史の緒が切れると、それにつらぬかれて輝いていたこういった宝玉がばらばらに散り失せてしまうだろう」と嘆いていたのである。今の世の中のように、欲だけの人間が横行しているのを見るにつけ、それは達見ではなかろうか。私たち日本人は大事なものを忘れてしまったのではないか。会津盆地の一角で、しぐれ降る音を聞きながら『春宵十話』を読んでいると、日本人であれば「ともになつかしむことができる共通のいにしえを持つという強い心のつながり」にこだわった岡潔のことが思い出されてならない。
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