情勢論ではなく、真の保守派は一つになるべきだろう。先の開戦の時にも、天皇陛下の大詔を聞いて、日本人は決死の覚悟を固めたのではなかったか。最終的には敗北したとしても、民族の魂はどこまでも清らかであった。戦後世代の私であっても、当時の日本を代表する歌人や詩人の悲痛な決意には、ただただ熱いものがこみあげてならない。とくに、吉井勇の「大詔聴きつつ思ふいまぞわれら大君のために死ぬべかりけり」の歌や、「昭和16年12月8日/何といふ日であつたらう/清しさのおもひ極まり/宮城を遙拝すれば/われら盡く/誰か涙をとどめ得たらう」(「大詔」)といった伊東静雄の詩などは、日本的情念の素朴な発露であった。心の内部は不安が渦巻いていただろうに。それでも無私の心で、大君に一切を捧げようとしたのである。もう一度私たちは、あのときのことを思い起こすべきだろう。今日本は瀕死の状態にある。福島原発の事故は未だ収束せず、おびただしい数の人々が危険な地帯に放置されている。政治は漂流を続けたままで、サヨク政権が居座っている。近隣の諸国からは侮られ、かけがえのない領土が奪われようとしている。もはや座して死を待つことはできない。渾身の力をふりしぼって、日本の国柄を維持するために、今こそ立ち上がるべきだろう。危機に直面して身を挺する。それが古からの民族のならいであり、清らかな魂が目覚めれば、祖国日本は救われるのである。
←真の保守派は一つになるべきだと思う方はクリックを