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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

佐保神社の御大神宮さんの玉垣に三木翠山の父の名が

2015年07月14日 04時52分33秒 | Weblog
                

 昨日のブログで加東市出身の美人画家、三木翠山の展覧会を紹介しましたが、三木翠山は加東郡社村の田町の生まれであることも紹介しました。服部壽七の四男として生まれ、幼い頃から絵を描くことが好きだったということでした。

 ところで、翠山が生まれた社の田町は社の市街地では最も古くから栄えた通りでした。商店や料理旅館が軒を並べて繁栄していたのですが、今は開いている商店も少なくなり、静かな住宅街に変わりつつあります。

 その田町通りに昭和のはじめまで御大神宮さんが祀られていました。その由来についてはこの歴史ブログで紹介してきましたが、今は佐保神社に遷され田町の住民がお祀りしています。その御大神宮さんの祠の玉垣の一本に、翠山の実父、服部壽七さんの名前が刻まれているのを確かめました。

 玉垣には、田町で米相場が立てられていた頃の加東米穀取引所をはじめ、商人の屋号や住民の名前が刻まれています。その一本が翠山の父親の名前だったのです。これも田町の歴史を物語る貴重な歴史遺産に加えることができるでしょう。
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三木翠山展-社町生まれの美人画家

2015年07月13日 05時02分23秒 | Weblog
 12日(日)午後、姫路市立美術館で開催中の三木翠山展に行ってきました。6月20日から開催されていたのですが、やっと時間がとれました。

 図録の解説によれば、三木翠山は明治16年(1883)、兵庫県加東郡社村の田町(たまち)生まれで、現在の加東市社の田町通りが生まれ故郷です。
 翠山は幼少の時から絵を描くことが好きで、加東郡上福田村の内、木梨村の三木南石に絵の手ほどきを受け、紺屋だった三木家の養子になっています。明治33年に京都に出て、竹内栖鳳に入門し本格的に絵の修行をしたと伝えられています。大正2年(1913)には、第7回文展に初入選(「朝顔」)し、それ以後、文展、帝展などの常連作家となり、竹内栖鳳の助言で美人画の創作に取り組み、次々と名品を発表、翠山の美人画は人気を博し、京都画壇に確固たる地位を築きました。

 「祇園会」や「維新の花」などの美人画、東海道五十三次の風景画、ニューヨークの摩天楼など、間近に翠山の絵を鑑賞することができ、惹き付けられてしまいました。門下の森月城の「富士図」なども展示されていました。森月城は翠山の従兄にあたり、やはり加東郡社町出身です。また、もう一人、土肥蒼樹(本名健治)も加東郡出身とありました。

 郷土出身、しかも私の住んでいる社の田町出身の画家、三木翠山の絵を初めて直に見ることができ、感動しました。美人画、風景画、その優美さ、緻密さ、深遠さ、何と表現していいやらうまく言えませんが、惹き付けられてしまいました。
 
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福島市の道路元標

2015年07月12日 04時22分05秒 | Weblog
 10日(金)の早朝、福島県の県庁所在地である福島市の街を歩いていると、目に入ったのがこの道路元票でした。道路元票は大正8年(1919)に道路法で各市町の道路の基点となる目印(石碑)が設置されました。加東市内にも旧町村の道路元票があり、この歴史ブログで紹介してきました。よその街を訪れた折には、早朝ウォーキングを楽しむことにしていますが、道路元票に出逢ったのは初めてのことでした。
 元票の隣には、その由来を記した銘板が設置されていました。街、道路の歴史を伝える貴重な歴史遺産である道路元票。
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昭和13年-佐保神社で応召・入営兵奉告祭

2015年07月09日 04時17分19秒 | Weblog
 昭和13年(1938)5月、応召・入営する兵士の奉告祭が佐保神社(加東市社)で執り行われることになり、その通知が社町長から各区長等に出されています。早朝の奉告祭、見送りを受け、郷土を出発していったのです。


 昭和十三年五月二十一日

               社 町 長

区長   殿
町会議員 殿
学校長  殿
団体長  殿


 応召兵並ニ入営兵奉告祭施行ノ件

来ル五月二十四日午前五時三十分(入隊ノ関係上特ニ時間厳守)ヨリ佐保神社前ニ於テ左記応召兵並ニ入営兵ノ奉告祭ヲ施行可致ニ付御参列相成度尚御部内一般ヨリモ多数参集セラルル様配慮相煩度通牒旁御依頼申上候也

     記

一、応召兵  亀田満(社)  大橋哲(出水)  石井博(喜田)  大村茂(喜田)  播鉄乗合自動車ニテ出発ノ予定

二、入営兵  大西宗一郎(窪田)  五月三十日出発 輜一〇入営 

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昭和13年夏-陸軍病院入院患者見舞品に関する通知

2015年07月07日 04時37分02秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の夏7月、社町長から各区長に対して姫路陸軍病院からの入院患者見舞品に関する申し出が通知されています。
 夏を迎え、伝染病予防のために飲料品は禁止という内容です。文書から、当時は入院患者への見舞品として、菓子や果物、鶏卵などが贈られていたことが分かります。また、陸軍病院内には酒保があり、患者はこれを利用していたことも分かります。



 社通第一九三四号ノ一
   昭和十三年七月二十二日
                 社 町 長

各区長殿

  入院患者見舞品ニ関スル件

標記ノ件ニ関シ姫路陸軍病院ヨリ左ノ通申越アリタルニ付御了知ノ上貴部内ヘ周知方御取計相成度及依頼候也

  記

従来還送患者ニ対シテ親戚知友等ヨリ見舞品トシテ個人的ニ見舞来院ノ節菓子類、果物、鶏卵等ヲ贈与相成感謝致居り候処向暑ノ折柄漸次地方ノ伝染病発生ノ兆有之候ニ就テハ入院患者伝染病予防上当分ノ間個人ノ見舞品トシテ飲料品ノ贈与ハ禁致候間右ノ旨管内ニ対シ御伝達方御取計被下度右御依頼申上候

 追テ院内ニハ酒保ノ設備有之普通飲食物ハ当院ニテ毎日検査ノ上犯相セシメ居候ニ付一般的ニハ不自由無之候次第申添候
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昭和13年-多数の応召兵の奉告祭・歓送

2015年07月06日 04時43分57秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の5月、郷土社町から12名の兵士が召集され、その奉告祭(佐保神社)の通知が出されています。
 このブログで支那事変勃発以降、こうした郷土兵の応召、凱旋に関する通知類を紹介していますが、通知に記された兵士の氏名を忠魂碑の英霊尊名碑の中に見つけることが少なくありません。ああ、あの人も戦死されたんだな、と手を合わせます。近所の人、親戚など、身近な人が戦争に行き、亡くなっています。その記録をこうした形で残しておきたいと思います。今日紹介するのもその一つです。



兵至急

 昭和十三年五月五日
             社 町 長

区長殿
町会議員殿
学校・団体長殿
区団体長殿

   応召兵奉告祭執行ノ件

今次ノ動員並ニ臨時召集応召兵ノ奉告祭ヲ左記ノ通リ執行可致候条御参列相成度尚精神的盛大ニ歓送致度ニ付御部内一般ヘモ伝言ノ上多数参集被下様御配慮相煩度此段及通牒旁々御依頼候也

   記

一、五月六日午前八時  奉告祭   於 佐保神社

 応召者  三木徳次郎(社)  松本孝介(社)  大橋竹松(出水)

 出発ハ汽車  社駅 午前九時二十七分発ノ予定
  内 松本孝介君ハ五月七日早朝出発ノ予定

二、五月十日午前五時三十分 奉告祭  於 佐保神社

 応召者  堀本金次郎(社)  服部玄治(社)  廣畑一二(社)
      藤本正司(松尾)  堀内幸造(田中) 堀内幸次郎(田中)
      石井政一(野村)  森本祝雄(上中) 長井兵蔵(喜田)

 出発ハ貸自動車ノ予定
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昭和13年-応召軍人奉告祭の通知

2015年07月05日 05時22分48秒 | Weblog
 昭和13年(1938)6月、郷土から応召される兵士の奉告祭が執り行われることになり、その知らせが社町長から各区長らに出されています。
 6月15日付の「兵至急」と記され、奉告祭は翌16日の早朝5時からとなっています。


兵至急

 昭和十三年六月十五日
                    社 町 長
区  長
町会議員
官公衙長     殿
学校団体長

    応召軍人奉告祭執行ノ件

今次臨時召集下令ニ依リ応召セラルル左記軍人ノ奉告祭ヲ七月十六日午前五時ヨリ佐保神社前ニ於テ執行可致候条御部内一般ヘ伝達ヒ下度此段及通牒候也

    記

   上 月 利 一  (西垂水)
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ヤギのいる学校-東条西小

2015年07月04日 05時27分25秒 | Weblog
             
           
 加東市吉井にある加東市立東条西小学校のオープンスクールが行われ、授業を参観しました。
 児童数が減り、現在は96名と100人を割っています。この西小の中にはヤギの飼育小屋があり、教室からヤギのようすがよく見えます。子供達の授業を参観しながら、ヤギを見ると、小屋の中を行ったり来たりしながら、時折り外をじっと見ています。子供の出てくるのを待っているかのようでした。動物の飼育は子供の情操を豊かにすると思います。3年生の教室だったか、授業中にスズムシの鳴き声が聞こえました。時折り、りーん、りーんと鳴き声が流れます。ノーチャイムの学校でスズムシの音が・・・。いいですね。

 廊下に子供の手作り新聞が掲示してありました。学校の歴史を調べたもので、校長先生へのインタビューや二宮金次郎像が取り上げられていました。西小の二宮金次郎像は以前にこのブログでも紹介しましたが、校門を入ったところにあります。特徴は、台座がなく、子供でも金次郎像を見下ろせるところです。「金次郎はどのように勉強していたのでしょうか」というクイズも新聞に書かれていました。子供にとっては学校の歴史は一番身近な歴史です。子供の頃から古いものに関心を持ち、自分で調べることのおもしろさを身につけることは良いことだ思いました。

  
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朝のウォーキングで見かけた梅雨景色

2015年07月03日 05時26分24秒 | Weblog
            

            

 朝、静かな市街を歩いていると、ふと足を止めることがあります。

 このブログでも以前に紹介しましたが、忠魂碑のある明治館(加東市社にある元加東郡公会堂)の西側の林の木の上にアオサギの巣があります。ギャオという鳴き声にふと見ると、木の天辺に親サギが、そして巣の中に若いサギが見えました。親は時折り巣を飛び立ち大きく旋回していました。

 佐保神社から新池を通り、大師殿へと歩いていると、鮮やかな色のあじさいが目に止まりました。新池も雨が続いて満水です。サクランボの木の下で咲くあじさいの写真も撮りました。
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今年の緑のカーテン-軒下まで伸びました

2015年07月02日 05時01分19秒 | Weblog
             

 毎年、加東市花と緑のまつり・花き盆栽展で、加東エコ隊のブースで緑のカーテン、ゴーヤの苗をいただきます。今年も5月30日に4本の苗をいただき、我が家でカーテンづくりに取り組んでいます。
 一ヶ月経った6月30日、4本のゴーヤは順調に生長し、軒下まで伸びました(写真上)。脇芽も多く出て緑のカーテンへと広がりつつあります。
 西日が当たるこの窓にすだれを吊し、その前を緑のカーテンにしています。室内から外を見ると、緑のカーテンとすだれが日差しを和らげ、何ともいえない風情を醸し出してくれます。また、つぎつぎとなるゴーヤは炒め物にして食べます。今日はその生長の途中報告です。下の写真は左が一ヶ月前の植えた直後。右は10日後の写真です。
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昭和13年-入営兵歓送の通知・北京入営

2015年07月01日 05時20分04秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の2月、郷土から大陸の北京に入営する兵士を見送るべく、歓送依頼の通知が出されています。社区(現加東市社)の当時の軍事関係文書綴に綴じられていました。通常は佐保神社で奉告祭が行われていましたが、この通知では、直接から社駅に向かう筈、と記されています。



 昭和拾参年貳月拾五日
                 社 町 長
各区長殿

  入営兵歓送ニ関スル件

来ル二月十八日午前八時四拾八分社駅発列車ニテ左記両君入営ノ為メ出発セラルルニツキ御見送リ下サレ度及通牒候也

   記

内藤 實(社)  依藤治郎(上中)  入営地(北京)


追而 御部内一般及 軍友会役員、在郷軍人会班長、消防組小頭、青年団支部長、国婦会支会長、女子青年支部長ヘモ御伝達ヒ下度御依頼申上候
尚当日ハ奉告祭ハ挙行ズ□□直接ヨリ社駅ニ出向ハルル筈
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