ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

御大神宮さん-中田町町内で受け継ぐ神様

2015年07月26日 05時13分44秒 | Weblog
            

          

 25日(土)の午後7時前、佐保神社境内は涼風が吹き、大けやきからヒグラシの声が聞こえてきます。そして、西の地平線に雄大な夕空が広がっていました。

 境内西側に並ぶ小宮さんの列の真ん中辺り、御大神宮さんを祀る祠があります。この祠は、元は加東市社の田町通りに鎮座していましたが、昭和初期に田町通り(県道)をバスが通ることになり、佐保神社境内に遷されたものです。それ以来、田町の人がお祀りを欠かさず行って今日に至っています。祭祀の道具を入れた箱の蓋や幟には、中田町、東田町の町名が書かれていますが、今では中田町の町内がお祀りをしています。
 毎年7月25日に祭りを行うことになっています。かつては30軒を数え、繁栄していた中田町町内会も今では半数になってしまいました。それでも町内会の面々が集まり、地元の神様をお祀りし、町内繁栄、家内安全を祈る大切な場になっています。

 田町通りに御大神宮さんが祀られた経緯は、これまでにも何度もこのブログで紹介してきましたが、江戸時代に天から御大神宮の御札が降ってきたことをありがたみ、人々が祠を建ててお祀りしたことに由来しています。

 今年はこのブログでも紹介しましたが、日本画家で美人画で知られる三木翠山のことが話題にのぼりました。姫路市立美術館で三木翠山の展覧会が開かれていますが、三木翠山は中田町に生まれています。「服部壽七」さんの四男に生まれ、幼少より絵が得意で、加東郡上福田村の木梨の三木南石に絵を習い、やがて京都に出て竹内栖鳳の弟子となり美人画で独自の地位を築きました。三木家の養子となり三木を名乗りましたが、生まれは社の田町、服部家であり、この御大神宮さんの祠があった辺りに生家があったのです。御大神宮さんの玉垣の一本には「服部壽七」の名前がはっきり刻まれています。

 夕日が沈み、やがて、西の空には高い空の雲が朱く輝きました。今年も無事に御大神宮さんの祭りが終わりました。
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