ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

三木翠山展-社町生まれの美人画家

2015年07月13日 05時02分23秒 | Weblog
 12日(日)午後、姫路市立美術館で開催中の三木翠山展に行ってきました。6月20日から開催されていたのですが、やっと時間がとれました。

 図録の解説によれば、三木翠山は明治16年(1883)、兵庫県加東郡社村の田町(たまち)生まれで、現在の加東市社の田町通りが生まれ故郷です。
 翠山は幼少の時から絵を描くことが好きで、加東郡上福田村の内、木梨村の三木南石に絵の手ほどきを受け、紺屋だった三木家の養子になっています。明治33年に京都に出て、竹内栖鳳に入門し本格的に絵の修行をしたと伝えられています。大正2年(1913)には、第7回文展に初入選(「朝顔」)し、それ以後、文展、帝展などの常連作家となり、竹内栖鳳の助言で美人画の創作に取り組み、次々と名品を発表、翠山の美人画は人気を博し、京都画壇に確固たる地位を築きました。

 「祇園会」や「維新の花」などの美人画、東海道五十三次の風景画、ニューヨークの摩天楼など、間近に翠山の絵を鑑賞することができ、惹き付けられてしまいました。門下の森月城の「富士図」なども展示されていました。森月城は翠山の従兄にあたり、やはり加東郡社町出身です。また、もう一人、土肥蒼樹(本名健治)も加東郡出身とありました。

 郷土出身、しかも私の住んでいる社の田町出身の画家、三木翠山の絵を初めて直に見ることができ、感動しました。美人画、風景画、その優美さ、緻密さ、深遠さ、何と表現していいやらうまく言えませんが、惹き付けられてしまいました。
 
コメント (2)
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