昨日のブログで加東市出身の美人画家、三木翠山の展覧会を紹介しましたが、三木翠山は加東郡社村の田町の生まれであることも紹介しました。服部壽七の四男として生まれ、幼い頃から絵を描くことが好きだったということでした。
ところで、翠山が生まれた社の田町は社の市街地では最も古くから栄えた通りでした。商店や料理旅館が軒を並べて繁栄していたのですが、今は開いている商店も少なくなり、静かな住宅街に変わりつつあります。
その田町通りに昭和のはじめまで御大神宮さんが祀られていました。その由来についてはこの歴史ブログで紹介してきましたが、今は佐保神社に遷され田町の住民がお祀りしています。その御大神宮さんの祠の玉垣の一本に、翠山の実父、服部壽七さんの名前が刻まれているのを確かめました。
玉垣には、田町で米相場が立てられていた頃の加東米穀取引所をはじめ、商人の屋号や住民の名前が刻まれています。その一本が翠山の父親の名前だったのです。これも田町の歴史を物語る貴重な歴史遺産に加えることができるでしょう。