ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

県立豊岡高等女学校跡地石碑

2015年07月25日 05時28分00秒 | Weblog
 22日(水)から24日(金)の3日間、視察で但馬丹波地区を訪れ、県立高校や教育事務所などを訪問し調査を行いました。

 豊岡市内に宿泊した24日の早朝、近くの神社や公園を散歩していると、幼稚園の敷地の中に一本の石柱が立っているのに気づきました。近づいて字を読んでみると、兵庫県立高等女学校正門跡と刻まれていました。23日に県立豊岡高等学校を訪問し、その沿革も聞いていましたが、その中に豊岡高女のこともあったことを思い出し、思わぬ出逢いに縁を感じました。住宅街の中の幼稚園の敷地、フェンスの中にさりげなく建立されている一本の石柱が豊岡の女子教育の歴史を物語っていました。豊岡高女は明治42年に城崎郡立高等女学校として設立され、のちに県立に移管され豊岡高等女学校に、そして戦後、県立豊岡西高等学校に改称、その後豊岡東高校と統合され、現在の豊岡高校になっています。

 ちなみに県立社高等学校の前身、県立社高等女学校は現在の社裁判所の地にありました。改築前には敷地内に県立社高等女学校跡地の石碑が建てられていたのですが、現在は見当たりません。ぜひ、石碑を敷地のどこかに設置させていただきたいと思っています。
 
コメント
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