ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

河高八幡神社の厄神祭

2010年02月12日 06時08分18秒 | Weblog
 2月11日、加東市河高の八幡神社で厄神祭が行われ、小雨が降る生憎の天気でしたが、多くの参拝者で賑わいました。地元の皆さんの心づくしの接待も行われ、うどん、ぜんざい、おでん、温泉卵などで冷えた体が温まりました。
 この歴史ブログでも、これまで八幡神社の厄神祭について紹介してきましたが、今年も神社の由来や祭りについて紹介します。
 河高の八幡さんは、今から約470年前の戦国時代、天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、男女平等ということで、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。こうした思いも実際に祭りを直に見てはじめてもつことができるものです。
 

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