ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

曽我の八幡神社

2010年02月10日 13時51分01秒 | Weblog
 加東市曽我の国道175号沿いのすぐ東に八幡神社があります。加古川の支流、吉馬川のすぐ北にあたります。広い境内には、拝殿本殿、阿弥陀堂、公民館、グランドがあります。
 石鳥居は明治時代の、すぐ脇の百度石は大正時代の建立年が刻まれていて、割合新しいものです。拝殿前の大きな石造の常夜燈は天保14年(1843)、そして狛犬の脇の小さい石燈籠は少し表面が見えにくくなっていましたが、享保18年(1733)の建立と刻まれていました。狛犬は台石に文化8年(1811)の建立年が見えました。古い神社やお堂とともに新しい公民館があり、昔も今も曽我地区の人々の寄り集う場所としてこの場所があるんだということがよくわかります。
 もっと古い話になりますが、曽我の地名は古代の豪族である蘇我氏を連想させますが、蘇我氏が開発した地であるとの説もあります。また、竹内姓が多く、蘇我氏の祖先である武内宿禰(たけうちのすくね)に因んで名乗ったものという話をよく聞きました。また、曽我には佐保神社(加東市社)の北の鳥居があったという話もあります。佐保神社には一里四方に鳥居があったということで、北の鳥居が曽我にあったということです。
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とどかない・・・上中の巨木

2010年02月10日 04時37分02秒 | Weblog
 以前にこのブログで紹介した上中のムクの巨木の写真をもう一枚紹介します(2月4日付)。加東市上中にある加東消防署のすぐ東側にあるムクの巨木は遠くからでもその姿を目にすることができますが、車を降りて根元まで近寄ってみることは地元の方でなければ滅多にないはずです。
 大木の根元を近くの公園で遊んでいた子ども達が手を繋いでみてくれました。3人ではとてもとても足りません。この子ども達もびっくりしていました。トトロに出てくる大木のようです。
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喜田の阿弥陀堂

2010年02月09日 04時27分41秒 | Weblog
 加東市喜田の公民館の西隣にお堂があります。まだ新しい公民館と古いお堂が隣合せに建っており、昔からの集落と新しく開発され住宅やアパートが増えている喜田地区を象徴しているかのようです。
 このお堂は阿弥陀堂で、加東四国八十八ヶ所霊場の第二十八番にあたります。公民館、住宅に囲まれて、お堂と墓地、大師像、石碑などが狭しと並び、この地が村の歴史の一端を伝える大切な場所であることを感じます。
 源平合戦の古戦場である三草山合戦についてその伝承を調べていたときに、敗れた平氏が三草から逃げてこの喜田にあった大寺に逃げ込んで隠れたがやがて見つかり滅ぼされたという話を聞いたことを覚えています。その大寺は今はありませんが、このお堂がその名残ではないかといわれている、ということでした。もちろん、私の記憶も、そして伝承の内容、さらに伝承そのものもはっきりしていませんが、そんなことを思い出しながらしばらくの間お堂の前に佇んでいました。
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山氏神社の大木

2010年02月08日 04時49分29秒 | Weblog
 加東市社の山氏神社。境内には「義経お手植えの松」があることをこの歴史ブログでも紹介してきました。しかし、今は玉垣で囲まれたその中には切株と若い細い松の木があるだけです。この山氏神社は社の商店街を南北に貫く道路の東側にあり、その反対の西側には佐保神社があります。商店街はかつての賑わいがなくなりシャッターを閉めたままの店や更地になっているところもあり、以前は道から見えなかった佐保神社の本殿が見えたりします。
 山氏神社への参道は商店街から東にまっすぐのびており、参道の向こうに石鳥居と拝殿、本殿が見えます。その入口の脇に大木があり、太い幹と先になるほど曲がりくねった細い枝が空に向かっています。何の木か分かりませんが、ムクの木でしょうか。境内には手水屋の脇にけやきの大木、駐車場となっている境内にクスノキがあります。保育園の頃、この境内でサーカス小屋がたって見に来たことを思い出します。
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佐保神社の大けやき②

2010年02月07日 05時23分45秒 | Weblog
 昨日に続いて佐保神社(加東市社)の大けやきを紹介します。楼門の脇、境内の真ん中、そして、県道に沿った少し低くなっている門前の公園に大けやきがあります。どれも社町の保護樹指定第1号(昭和60年)ですが、今はそのプレートも地面に落ちていたりしています。
 この写真は、門前の公園になっているところから楼門を望んだものですが、地面から太い幹がそのままの太さで天に向かって伸びて、さらに太い枝がぐうーっと横に伸びています。夏の緑の入道雲のような大けやきも好きですが、すべての衣裳を脱いで素の姿を見せてくれる冬のけやきも大好きです。
 
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佐保神社の大けやき

2010年02月06日 04時44分26秒 | Weblog
 車を走らせていると、毎日のように佐保神社前の交差点を通ります。また、朝のウォーキングでも佐保神社に参拝します。旧国道175号と372号が交差するこの交差点は、東西交通の要であると同時に社市街地の玄関口でもあります。
 佐保神社の境内には大けやきがあります。楼門のすぐ脇、そして旧国道との間の少し低くなったところにも数本の大けやきが生えています。そして、広い境内の真ん中にも一本の大けやきがあります。どのけやきも地面から太い幹がどかっと生え、何本もの太い枝がさらに伸び、その先には天を覆うかのように細い枝が広がっています。これらの大けやきは昭和60年に社町の保護樹に指定されています。また、昭和47年には社町の木がけやきに決まりましたが、佐保神社の大けやきを町のシンボルとするのがよいと考える町民が多かったということです。
 けやきはいち早く季節の変化を感じて装いを変える木です。春の芽吹き、新緑も早く、また、秋の気配とともに葉が色づき、そして散りはじめます。夏には勢いよく緑の入道雲のように青い天に向かって伸びていきます。そんなけやきが私も大好きです。
 佐保神社の大けやきの樹齢はいったいどれぐらいなのでしょうか。そのどっしりとした太い幹に手をまわしてみると、数百年の年輪を刻んでいるのではと思ったりします。写真は境内から楼門とその脇の大けやきを写したものです。
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木梨の大ムクの木

2010年02月05日 05時30分10秒 | Weblog
 昨日は加東市上中の巨木を紹介しましたが、車を走らせていて、いつも気になっている大木がもう一つあります。国道372号と県道西脇三田線が交差する加東市藤田の交差点は東西交通の要となっていますが、そのどちらの道を走っていてもこの大木が田圃の向こうに遠望できます。加東市来梨にある大木です。
 木梨(きなし)という地名の由来については諸説があるようですが、『加東郡誌』には、「播州村名故事記」に「大木のありし地の由、延喜式に木梨の社あり」とあると記しています。また、往古、木梨は今の藤田や三草も含めた広大な地域であったのではないか、とも書いてありました。
 さて、大木を目印に県道から旧道に入り、しばらく北へ走ると公民館があります。ここに車を止めて細い道を入っていくと、大木のある神社に辿り着きました。太い幹が地面からぐぐーっとその胴体捻るように少し傾いてとのびています。それはまるで巨大な大蛇が天に向かって昇っていくような姿に見えます。神社の少し南から全体像を写してみました(写真)。この大木はムクの木で、昨日紹介した上中の大木同様、昭和60年に社町の保護樹に指定されています。そして、すぐ隣にもっと大きな木の株もありました。
 木梨の地名の由来となった大木かもしれません。あるいはこのような大木が木梨には昔からたくさん生えていたのかもしれません。
 
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上中の巨木

2010年02月04日 05時06分25秒 | Weblog
 加東市内各地の神社や寺などの境内に巨木が聳えているのを見かけます。車で走っていても遠くにその姿を見つけることもしばしばです。
 加東市上中にある加東消防署のすぐ東隣にはお堂や太鼓蔵、ゲートボール場がありますが、その一角に一本のムクの巨木が聳えています。遠くからも目にとまるほどの巨木で、夏の入道雲のように空に向かって枝をのばしています。近くで遊んでいた子ども達がうでをのばして幹のまわりをはかろうとしましたが、3人では3分の一もいきませんでした。それはまるでアニメのトトロに出てくる巨木のようでもありました。
 幹にはプレートが掛けてあり、昭和60年に社町の保護木にしていされていました。こうしたプレートは加東市社の佐保神社境内のケヤキの巨木にも掛けてあります。当時、社町の保護樹林等選定委員会によって、ケヤキ、クスノキ、イチョウなど名木82本と13の樹林が保護木、保護樹林に選ばれたということです。基準は高さ15メートル以上、幹の太さは人間の目の高さで周囲1.2メートル以上だったそうです。
 樹齢は分かりませんが、人間の寿命を遙かに超えて何百年も生き続けているのではないでしょうか。
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長井の薬師堂

2010年02月03日 05時38分57秒 | Weblog
 加東市長井の集落を西に見ながら旧道を走っていると、左手に大木とお堂が目に入ってきます。これは長井の薬師堂です。ちょうど境内に地元の方が居られたのでいろいろとお話を聞くことができました。
 薬師堂は、長泉寺という寺だったそうです。また、加東四国八十八ヶ所霊場の第十七番霊場になっています。境内のむくの木の大木が歴史の古さを感じさせます。お堂はコンクリート造りですが、ご本尊は60年に一度のご開帳があるそうです。また、毎年年の始めに南蔵院の住職を迎えてお堂で行事が行われるということも教えていただきました。
 お堂の前の木の元には、いくつかの石造物が並んでいました。どれも古いもののように見えましたが、年代などはわかりません。
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