一昨日のこのブログで、加東市家原の観音寺境内にある赤穂義士菩提所の墓碑配置図を紹介しました。中央に浅野内匠頭長矩公、その脇に大石内蔵助義雄、主税の父子、それを取り囲む義士の墓碑が並んでいます。
写真は堀部安兵衛の墓碑(3基のうち中央)ですが、向かって右は大石瀬左衛門、左は貝賀弥左衛門の墓碑です。菩提所の中央背面の右の角あたりに並んでいます。
墓碑の中に堀部安兵衛のように新しい石がいくつかあります。墓碑には、堀部安兵衛武庸(たけつね)の名、そして法名の 刄雲輝剱信士、三十四歳と刻まれています。堀部安兵衛の名は高田の馬場の決闘で知られていますが、こうしてその墓碑の前に立つと、その武勇に思いを馳せることもできます。
辞世 梓弓ためしにも引け武士の道は迷はぬ跡と思はば
写真は堀部安兵衛の墓碑(3基のうち中央)ですが、向かって右は大石瀬左衛門、左は貝賀弥左衛門の墓碑です。菩提所の中央背面の右の角あたりに並んでいます。
墓碑の中に堀部安兵衛のように新しい石がいくつかあります。墓碑には、堀部安兵衛武庸(たけつね)の名、そして法名の 刄雲輝剱信士、三十四歳と刻まれています。堀部安兵衛の名は高田の馬場の決闘で知られていますが、こうしてその墓碑の前に立つと、その武勇に思いを馳せることもできます。
辞世 梓弓ためしにも引け武士の道は迷はぬ跡と思はば