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Bayly, The Practise of Pietie

ルイス・ベイリー
『信仰を実践しよう!』より

・主の日を本当に清らかに過ごすには
さて、安息日を守るには次の二点を満たさなくてはなりません。まず、いつもの仕事、体が生きるために必要な仕事から休むこと。次に、その休息を神様への奉仕にあてること……。

・第一の点について
いつもの仕事、体が生きるために必要な仕事とは、社会人としての仕事すべてをさします。その重さ・重要性は関係ありません。具体的には、まず第一に本業を休まなくてはなりません。たとえ収穫の時期であってもです。

第二に、運輸業者のように荷物を運ぶのをやめなくてはなりません。利益のために、あるいは楽しみのために外出してもいけません。神様は、安息日には獣も休むよう命じました。その日に獣を使って人が働くことがないようにです……。

第三に、市場に店を出してはいけません。これを神様は疫病や火事や不思議な洪水で罰してきました。

第四に、読書や勉強をしてはなりません。聖書や神学書についてはこのかぎりではありませんが。主の日には、魂を集中させてこの世のことを忘れるよう努めなくてはならないのです……。

第五に、あらゆる遊び・娯楽をやめなくてはなりません。他の日に許されているようなものでもです。他の日に許されている仕事でも主の日には禁じられているのですから、わたしたちの心を奪って神様を忘れさせる遊びなどいうにおよびません。

第六に、食べすぎてはいけませんし、ワインや強い酒を飲みすぎてはいけません。酔ってうとうとして心から神様に仕えることができなくなってしまうからです。

第七に、神様や天国のこと以外いっさい話をしてはいけません。安息日に俗的なことを話せば、これは働くことよりもさらにひどく安息日を汚すことになります。仕事はひとりでもできますが、話は他人がいないとできないことですから。

安息日を守っていつもの仕事を控えるというのは、獣にもできることです。キリスト教徒であれば、この日に休むことで罪を浄化しなくてはなりません。仕事が禁じられているのは、それが体と心を神様の礼拝から遠ざけてしまうからです。

他の日に許されている遊びが安息日には許されないのですから、他の日にも許されない遊びが安息日に許されないのは当然です。ですが、実際どのようにキリスト教徒が主の日を過ごしているかを見ると涙が出てきます。まるでバッコスを称えるパーティをしているようなのですから。主なるイエス様、救い主として世界を救ったイエス様を称える日なのに! ほんの一時間ほどかたちだけの礼拝をすませると、みな食べて飲んで遊びに行きます。まずお腹がふくれるまで食べて飲んで、そして遊んで踊って欲を満たします。このような冒涜は、昔から偉い神学者たちが強く非難してきたことです。アウグスティヌスもいいました、安息日に踊るくらいなら畑を耕しなさい、と。

……この本を読んでいる皆さんにはぜひ考えてほしいと思います。いつか救い主とすべての天使たちの前で答えなくてはならない日が来ますから。踊ること、劇や仮面劇で演じること、カードやさいころやバックギャモンやチェスやボウリングや狩りや熊いじめで遊ぶこと、酒をごくごく飲むこと・ちびちび飲むこと、ロビン・フッド気取りのいろんな馬鹿遊び、モリス・ダンスや各種の前夜祭、そして五月祭、これらを神様が祝福してくださると思いますか? 安息日にお許しくださるとでも? 安息日には神様を称えること、神様からお恵みをいただけるようなことのみ許されているというのに、そのような日に皆さんは上のような遊びにふけって神様に祈らない。……聞きなさい。そして震えなさい。おおお! 神を冒涜する若者たちよ! 神を畏れぬ者たちよ!

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Lewis Bayly
The Practise of Pietie
1613
STC 1602
pp. 563-73

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